新型コロナ感染症治療薬の開発に取り組んだ本学の同窓生がいます。永松大樹さん(応化博H29)という方で、社会人として農工大学の博士課程で博士号を取得された方です。
永松大樹さん
大阪にある、塩野義製薬株式会社・医薬研究センターでお話を伺いました。
ご出身はどこですか?
永松
大阪出身で、高校卒業まで大阪に住んでおりました。
その後化学の分野に進むことになりますが・・・
永松
幼少期より理科に興味があり、中学の頃には将来研究者になりたいと考えておりました。ですので、高校は大阪の工業高校に進学し、卒業後は直接大学には行かず、工業高等専門学校(高専)の4年生に編入しました。その後大阪府立大学工学部の3回生にさらに編入することで、専門的な教科に特化して学んできました。高専、大学と2回の卒業研究を通して研究に携わる時間を増やすこともできました。
大学院(修士課程)は京都大学の理学部に進みました。大学院修了後、塩野義製薬に入社しました。
子供の時から一つの芯がある考え方で現在まで来ているように思いますが・・・
永松
自身の行動原理として、自分が楽しめることが重要であると考えており、興味のあることはとことん突き詰めたいと思っています。それが私にとっては理科であり、科学であり、後ほどお話しする結晶関連の事だったのだと思います。
楽しめることを選んで続けた結果が、今の道になっているかと思います。
医薬品の分野に進んだきっかけは?
永松
修士課程では、物質を構成する最小単位を見てみたいと思い、京都大学の理学部で、結晶学を専攻し、電子顕微鏡を用いた結晶の分析をおこないました。研究内容は医薬品とは全く関係がなく、研究室から医薬品分野に就職した方も過去にいない状況でした。
就職先を選択する際に、生涯研究を続けることができ、その成果が困っている人の役に立てる環境を考えた時に、医薬品が真っ先に思いつき、就活を開始しました。家族に医療関係者が多かったことも影響しているかと思います。
塩野義との出会いはたまたまですか?
永松
研究室に製薬関連の情報がなかったため、複数の製薬企業にエントリーシートを送りました。その中で、塩野義の面接で自分の研究テーマを説明した際に、「あまりにも分野が違うため内容はよく分からないが、その専門性を活かしてやりたいようにやってみてほしい。」と言ってくださいました。
他社では感じることのできなかった、研究に対する自由な雰囲気が私に合っていると感じ、生涯研究を続けたいという自分の思いを実現できそうな塩野義を選びました。
実際入ってみてどうでしたか?
永松
伝統的な会社ということもあり、真面目で堅実な印象があります。反面融通が利かない面もあったりしますが、研究に関しては自由度が高く、私としては思い描いていた研究生活に近い充実した日々を送っています。
会社のためではなく、自分のために能力を上げて、「上げた能力を塩野義にいる間は貸していただきたい」という会社の考え方にも共感する部分がありました。
さらに、社会人ドクターという形で進学なさいましたね・・・
永松
研究者として、ドクター(博士号)の取得は一つの目標としていました。製薬企業では社会人ドクターで博士号を取得する方が少なくありません。
グローバル化が急速に進む製薬業界において、海外企業とのコラボレーションなどでドクターを取得していることが有利にはたらく場面があります。会社としても、ドクター取得を推奨はしていますが、あくまでも個人の判断にゆだねられています。
また、社内に留学制度があるのですが、当時その制度を利用するには、ドクターの取得が必須であったという側面もありました。
そんな中、東京農工大学で社会人ドクターに進学することができました。
農工大の博士課程に進むきっかけは?
永松
入社後、私は医薬品の物性を評価することを主な業務とし、その中でも結晶を創り出し、制御する「晶析」に強く興味を持ちました。
化学工学会の中に、晶析技術分科会という部会があります。医薬品を含む晶析に関する研究者の集まりで、他の学会で偶然誘われて参加することになりました。この研究分野は研究人口が多くないため小規模な研究会です。
アットホームな会であることも幸いし、何度か参加していく中で色々な方との親交が深まりました。その中で、社会人ドクターに興味があるという話をした際に、博士論文の指導をしてくださることになる滝山先生(工学研究院 応用化学部門教授)から、入試はプレゼン中心で、仕事との両立も可能なので、農工大の博士課程に来てみないかというお話をいただくことができました。
先生は、農工大の同窓生で同窓会理事長もなさっていたと聞いています。
社会人ドクターでどのように研究を進めましたか?
永松
日々医薬品の物性研究に携わっており、その中でも専門としている「晶析」に関して、自分が不思議に思ったこと、こうやれば上手くいくのではないかということなどを検証しておりましたので、自身の研究テーマに関してのイメージと、ある程度のデータは揃っていました。滝山先生に、自分が構築してきた研究の筋道を話し、それに対して適切なアドバイスを頂く形で研究を進めました。
色々なケースがあると思いますが、私の場合は仕事と博士課程を両立する形で進めることができ、キャンパスに赴くのは必須の単位の授業と、滝山先生との研究計画相談の時でした。
滝山先生はいろいろな分野の同窓生を育てられていますよね・・・
永松
そうですね、滝山先生のご専門は晶析工学です。基本的には金属や材料が対象になることが多い分野ですが、先生は医薬品にフォーカスして研究なさっています。ですので、医薬品業界にもお顔が広いと思います。
ドクター論文ではどのようなことを研究対象にしましたか?
永松
私が入社する少し前までは、医薬品の分野で結晶はあまり重要視されていませんでした。なぜなら、医薬品分子の構造がシンプルであったため、結晶化が容易で、トラブルが少なかったからです。近年分子構造が複雑化し、分子量が大きくなることで、結晶化しづらく、またその結晶の物性にも問題を含むことが多くなってきました。
医薬品の場合、まず結晶を創り出すこと(晶析)が必要です。さらに、その結晶の物性が医薬品として最適であるか、その結晶のままでいられるか、といったコントロールが求められるようになってきました。
私の博士論文では、医薬品を晶析するときに、どのようにすればうまく結晶が得られるのかという事が大きな枠組みになっています。
“飲み薬”は結晶を飲んでいる感じですか?
永松
実は医薬品の大部分は結晶なんです。結晶と言えば、水晶やミョウバンなど、大きなものを想像してしまうので意外ですよね。
医薬品の分野で物性という概念にはそれなりの意味があるように思いますが・・・
永松
物性とは、物理化学的な性質という概念です。医薬品はまずは薬として効果があって毒性の無い物質を見つけ出す必要がります。
そのような物質を見つけ出すことがまず大変です。やっと見つけ出した薬の種が、体に吸収されにくかったり、保管中に分解してしまったり、水分を吸って溶けてしまったりすることがあり、薬として成り立たなかったりすることがあります。
薬として成り立つのかというところを明らかにし、改善していくのが物性の研究になります。
その物性を決める大きな要素の一つが結晶という事になります。
入社から農工大の博士課程に進むまでの期間は?
永松
2006年に社会人になり、農工大に入学したのが2013年です。それまでの7年間は学生時代とは分野の違う製薬の研究に従事し、新しいことをどんどん吸収しました。医薬品晶析特有の不思議で不可解な現象を目の当たりにし、その原因を解き明かすことを楽しむ日々でした。また、入社してすぐに英語が必要なプロジェクトに配置されたので、当時苦手だった英語を必死に勉強しました。
結晶学や晶析工学という専門的な分野はあるのですが、結局結晶がどのように生まれてくるのかという事は完全には分かっていません。ですので、仕事を進める上では経験則というものも重要になります。このようにすればこうなる、じゃあこうしてみたらどうなるのだろう、というのを積み重ねていった上で得られた結果から、原理原則に戻ることが多々あるので、ある意味泥臭い学問だと思っています。研究と言えばどの分野でもそうなのかもしれませんが。
塩野義で物性研究の経験を重ねる中で、自分なりの理論で思い通りの晶析ができた時に充実感が得られ、晶析工学を追及してみようという方向性が確実なものとなっていきました。
博士号を取ったことは良かったと思いますか?
永松
まず何より、物事を順序立てて考察し、それをまとめる能力が付くと思います。同時に、自分の研究の癖(良いものも悪いものも)を指摘していただけるので、そこを伸ばしたり改善することで、研究者としての成長も感じられました。博士号を取得したことで、イギリスに1年間留学する機会を得ることもできましたし、働き方の上でも多くの付加価値があったと思います。
取得する際は、業務と自己研鑽という二つを両立することは大変でしたが、その結果、実験を効率的に進める能力と、貫徹する意思が高まったと感じています。現在は、働き方改革や色々な制約が増えており若手の皆さんは大変だと思いますが、ぜひ取得を目指してほしいなと思います。
新型コロナ感染症治療薬開発のお話を少し聞かせて下さい。
永松
私は元々研究を楽しみながら、きちんと成果を出すことを目指していましたが、新型コロナ感染症治療薬の研究を通して考え方も働き方も大きく変化しました。
通常の医薬品開発は、スタートから医薬品の上市までに10年から15年かかると言われています。ところが、新型コロナの治療薬が、パンデミックの10年後にできても価値がありません。
普通に考えれば不可能と考えられる極端に短い開発スケジュールが作成され、さらにコロナ禍で出社規制もかかる中、新型コロナの治療薬を研究するメンバーだけが出社して研究を続けました。通勤時の感染を防ぐため、通常は禁止されている車での通勤が許可され、走行車のいない異様な道路を走って研究所に向かったのを今でも鮮明に覚えています
無謀とも思えるスケジュールに追いつくため、実験結果が得られた時点で関係する担当者にその場で電話連絡し、次の試験がすぐに開始されていきました。スケジュールを少しでも圧縮するため、試験条件の変更、並行できる実験のオーバーラップ、化合物が合成でき次第受け取りすぐに試験開始など、最短で結論が得られる実験計画と、得られなかった場合のバックアッププランをひたすらに上書きしていきました。
そのため、自分が実験をしている時間よりも、実験計画、関係部署とのスケジュール調整やタイムラインの変更をしている時間の比率が大きくなり、必要な研究を実施し、薬の開発を進めるために必要な「結果」を「短時間」で出すことが当たり前になっていきました。
その結果、今までの常識では考えられないスケジュールを達成し、2022年11月に緊急承認していただくことができました。
この研究所で研究するメリットは?
永松
プロジェクトには、ここまでにこれをしなければいけないというタイムラインがあります。自分の担当分しか把握せずに総合的な見方ができないと、プロジェクトとしては遅延を招き、タイムラインに間に合わなくなります。
私の専門は物性で、その中に自身の強みとして晶析があります。専門の部分だけ学んでいても、プロジェクトに関わる人材としては不十分で、他分野と自分の専門のつながりを理解することが必要です。そのためには、どうしても他分野の知識が必要になってきます。
塩野義の研究所は、もともと分かれていた研究所をここ医薬研究センターに集約しました。何かあれば直接専門知識をもつ担当者のところに行って話ができるという事は、研究現場としてかなり大きなメリットだと思います。
研究に情熱を傾けることができる動機付けはどこにありますか?
永松
自分が関与した薬が、患者さんのためになっているという事実だと思います。自分の研究成果がどこかで誰かの役に立っているということは、自身のモチベーションになり、自信に繋がります。
私自身、強い吐き気や、激しい痛みなど、直接的な症状を感じているときに、何とか改善したいと願い、それが薬で抑えることができた時には、薬のありがたさを感じます。そんな時に、薬というものが患者さんのためになっているのだなという事を実感できます。
農工大の同窓生とお話をすると皆さん真面目に仕事に取り組んでいると感じます。
永松
社会人ドクターでしたので、関わりは滝山研のメンバーがほとんどですが、専門的な部分を楽しんで探求しているというイメージがあります。
滝山先生の人柄の影響もあると思いますが、研究室にほとんどいない年齢の離れた私に対しても、気さくに話しかけてくれ、学校の手続きなども親身にサポートしてもらえて本当に助かりました。
仕事以外で何かストレスの発散をしていますか?
永松
器械体操をしています。私にとっては必須のストレスの発散法です。長く続けていることもあり、いろんな人脈ができ、複数の場所で練習させてもらっています。
そっちの道に進んでいた可能性がありますか?
永松
選択肢としてはありました。小学生の頃に理科と器械体操とどちらを取るか迷い、結果的には理科を選び、器械体操は趣味で楽しむことにしました。
今後どのような方向性で進んでいきたいですか?
永松
入社してしばらくは、自分の専門分野をやっていることが楽しいという時期がありましたが、その後、色々な部署とつながりを持ちながら、医薬品開発のプロジェクトをどのように進めるかを考えるようになっていきました。この時点では、自分の専門的な実験結果を、プロジェクトにどう活かすかを考えていました。
新型コロナ感染症治療薬の開発に携わって、専門性以外の部分でもプロジェクトへ貢献できることに気付き、それが自分の専門を大いに活かしながら、プロジェクトの効率化にもつながることを学び、そこに楽しみを感じるようになりました。
年齢と共にマネージャー的な仕事にシフトしていくのが一般的ですが、自分の中ではそういうイメージは持っておらず、自分で手を動かして実験を楽しみながら、プロジェクトに貢献できればと考えています。
医薬品の物性を専門に研究している研究者は少数です。自分が得てきた知識を後進に伝え、その成長を見ることにも、最近楽しみを感じていることに気付きました。
研究を楽しみながら、その結果が医薬品開発にも貢献し、自分の知識を後進に伝えることで物性研究が更に盛り上がる。このようないい循環を続けていければと考えています。
「質の高いものをいかに効率よく開発していくか」という事は、とても重要です。
そのことに力を注ぐことにやりがいを感じており、結果として、困っている患者さん達を早く救うことができると信じています。
後輩の学生さんに一言お願いできますか?
永松
人生を楽しんでほしいと思います。ただ、自分が楽しめることは何か?という問いに答えられる人は少ないのではないかと思います。
大学ではそれを探すことができる十分な時間があります。ただし、漠然と勉強して生活しているだけでは見つけるのは困難だと思います。
私は、編入という制度を利用して、小学校から8つもの学校を転々としましたが、一般的な進路をたどらず、環境を変えていきたいという気持ちが強かったことも一つの理由です。その結果、それぞれの雰囲気を持つ学校で色々な経験が出来ました。
自分が少しでもやってみたいと思ったら、すべてに挑戦してもらいたいと思います。
その中で、将来の仕事にもできるような自分の「楽しい」を見つけることができれば、自分の人生の中でも重要なものを手に入れたことになると思います。ぜひアクティブでチャレンジングな大学生活を送っていただきたいです。
【編集後記】
日本の社会は縦割りになっていて、自分の担当分野だけをやろうとしている方が多いように思います。例えば、市役所に相談に行っても「たらい回し」にされることもその一例だと考えます。
私は事務職としての人生を送ってきましたが、ちょっとお節介なくらいがいいかなと思っています。境界線を掃きあうことは重要ではないでしょうか。
永松さんは、俯瞰的に物事を見ることの重要性を感じ取り、専門分野以外のことも勉強され、新たな方向性を見出しています。さらに、後進の方々の指導に当たってもこの考え方を継承しようと考えています。
永松さんの益々のご活躍を願っています。
こうほう支援室 池谷記