自動車業界は、EV化に向けて舵を切っています。日本でも、ホンダは2040年までに新車販売のすべてを電気自動車(EV)か燃料電池車(FCV)にする「脱エンジン化」を決めています。
一方今年に入り、早くから完全EVシフトを表明していたEU(欧州連合)が、条件付きで内燃機関車の新車販売を認める方針を発表しました。
このように、自動車業界はEV化をめぐって激動の時期を迎えています。
激動の自動車業界で、地に足をつけて研究を続けている同窓生がいます。2019年12月に社会人として農工大学の博士課程で博士号を取得した小川史恵さんです。
恩師の宇野亨先生と
小川さんは、神奈川県横浜市にあるマツダ株式会社・技術研究所に勤めていらっしゃいます。今回は、2023年5月16日に研究所にお邪魔してお話を聞くことができました。
ご出身はどちらですか?
小川
生まれは北海道で、小学校は最初京都でした。父の転勤の関係で小学校は4回変わっています。スペインの小学校に行ったりもしました。最終的に世田谷の小学校に転校してきました。
高校は世田谷の都立高校に通いました。住まいも世田谷の梅ケ丘というところでした。東京といっても、少しゆっくりした環境で良いところでした。
理科系に進んだ理由は?
小川
子供のころ北の丸公園の科学技術館の科学友の会に入っていました。そこで、科学技術の基本みたいなことを学んでいました。自然と理科系に興味を持つようになりました。
農工大を選んだ理由は?
小川
はじめは武蔵工業大学に入り、電気電子系を学んでいました。自分のキャリアアップを考えていた時に、すでに農工大に入学していた中学の時の同級生が、「小川さんなら向いているんじゃない」と言われました。
それで色々な資料を取り寄せましたが、自分の研究に対する姿勢と考え方があっているように思いました。
農工大は、いったん社会人になってから社会人編入で生命工学科に入りました。電気・電子というかたいことではなく、生命というものが作り出すものに興味があった時代でした。
その後、学部を卒業して就職した会社では、学部卒の担当と大学院卒の担当業務がかなり違うことに気付きました。その時に、大学院に行かないといけないなと思うようになりました。
博士課程前期は、もともと専門の電気電子に戻して、博士課程後期は機械システム工学を専攻しました。
農工大の学生は真面目で研究に熱く向かっていると感じました。先生方も、少ない研究費の中で自分の研究テーマを考えさせて、学生の自主性を大事にする教育していると思います。
良かったことは、会社に入る前に色々な人と接して、多くのことを吸収できたことだと思います。そういったすそ野の部分が大きいほどしっかりした研究ができると思います。
生命工学・電気電子・機械工学を学ばれましたが、研究していく上での方法論は同じですよね・・・
小川
そうです。あとは、頑張って勉強してそれぞれのベースについての知識を深めればいいだけです。
大学ではお金が潤沢ではなかったけれど、工夫して研究をした経験が社会に出てからも役立つ場面が多いと思っています。
何人かで仕事をする時には、工夫という事の他に意見を言い合うことが必要だと思いますが・・・
小川
仕事をするうえで、結論ありきで物事を進めないほうが良いと考えます。色々な意見を言い合って決めていくという方法が理想だと考えています。若い世代の方には、決まったことをやるだけではなくて、自分の考え方を主張できて他の人の意見を理解できるようになってもらいたいと思います。
スペインの小学校では、自分の意見を言いなさいと指導されました。今は、自分の意見を言うとSNSで叩かれたりして主張しにくい環境にあると思いますし、そのように育ってきていると思います。
意見を言うと、けんかを吹きかけていると感じる人もいます。ただ、意見を言い合うことは重要で、自分のすそ野を広げるうえで、ほかの人の考え方を理解することはとても重要なことだと思います。
相手がなぜその意見を言っているか理解できる人は少ないと思います・・・
小川
それができる人は、俯瞰的にものを見ることができて、色々な考え方をまとめて方向性を提示できると思いますよね。
一つのプロジェクトの中で、自分の専門だけではなく、ほかの人の分野のことも学ぶ必要がありますよね・・・
小川
そこができる人が多くなると、色々なマトリックスを持った仕事ができるようになります。
それぞれが縦割りに分かれていると、横の繋がりを作れる人が少なくなってしまうんですよね。原石が転がっていることを見逃してしまうこともあるかと思います。製造業は、そういったところに新しいヒントがあったりします。
自分は南極で越冬したことがありますが、重要なことを決める時には、ひと月意見を言い合って最後は多数決という形をとっていました。また、想定外の事が起きたときは、自分で工夫して物事に対応していました。例えば、部品がない時は自分で作るというのが基本でした。
小川
私立の大学と国立の大学を経験しましたが、国立の方が基本に戻って教育をしているように感じました。
想定していないことが起きたときに、基本を理解していないと対応できないと思います。そういった意味で国立の大学で勉強できて良かったと思います。
自動車の世界では、乗用車よりも商用車の方が想定外のことが起きやすいです。商用車を担当すると、自分で工夫して対応しなければならないことが多いと思います。私は商用車の方が基本を身に付ける点では役に立ったかな、と思います。
以前の会社では南極に車や隊員を出していました。南極という特殊環境では、日本では想定できないことが起こると思います。南極では雪上車やブルドーザーなどの商用車が活躍していると聞きます。私もそんな現場で仕事をしてみたいと思ったこともあります。
少し話を戻しますが、生命工学での研究はどんなことをやっていましたか?
小川
細胞生物学とバイオインフォマティクスを対象とした研究室にいました。武蔵工大では、細胞レベルで電磁波の影響を考えるといった研究をしていましたので、その経験を繋げられないかと考えました。
電波が飛び交っている状況の中で、どれくらいの防御をすれば人間を守ることができるのかというような研究がしたかったんです。
大学院で電気・電子の分野に進んだのは、その延長線上だという事ですね・・・
小川
今は研究が細分化していて、それぞれの専門家は優秀です。その人たちを認めてあげて、パズルを組み合わせてマネージメントのできる人材が意外と少ないと思います。
電気・電子の世界において生命工学で学んだところを延長させて研究することは難しかったです。境界領域の研究を理解してくださる人がほとんどいなかったと感じました。
両分野の融合の領域をしたかったのですが、実際は結構ハードルは高かったです。ハードルを乗り越えるためにかなり頑張りましたが、そのことが今に活きていると思います。
電気・電子を卒業して民間に一度出て、再び農工大の博士課程で機械システム工学を学んでいますが・・・
小川
学部時代の電気・電子では、アンテナ工学を研究しました。電磁波の生命への影響という視点ではなく、解析理論を中心に論文を書きました。
就職したのが自動車会社でしたので、会社に勤めながら機械システム工学の博士課程に入りました。
博士課程にいる時に農工大MOT(工学府産業技術専攻)の修士の授業も受けていました。MOT※の世界を知ったとき衝撃を受けました。 ※技術に立脚する事業を行う企業・組織が、持続的発展のために、技術が持つ可能性を見極めて事業に結びつけ、経済的価値を創出していく経営。
それでその当時勤めていた会社に、「産学連携的な形で大学と研究開発を進める」ことを提案しましたが認められませんでした。業務として研究をしたかったのですが、残念でした。
他の大学での単位も取ることができましたので、JAIST(北陸先端科学技術大学院大学)の講義も受けて単位を認めてもらいました。国際的なものの考え方もそこで学びました。ケンブリッジ大学の先生の講義を受けました。
JICA(国際協力機構)の仕事をしたことがありますが、技術移転ができずにお金をばらまいておしまい的な感じを受けた記憶があります。お金の使い方が重要だと思いますが・・・
小川
お金が重要であることも否定できません。例えば、同じ国立大学間でも、研究資金に差があります。そのことが、研究においてもその経費の一部を学生が負担するような場面が出てきます。
力のある学会で研究を発表することが求められますが、いきなり高い成果は出ません。助走的なところから進めないといい結果は出ないと思います。その部分への研究資金が個人負担となると結構負担になります。
お金の他にも、研究者として生きていく体制も問題です。先進的な研究が成り立つためには、すそ野を支える研究者の育成も重要だと思います。大学では、研究者の任期付き採用が主流ですが、その任期で高い成果を上げることは相当難しいと思います。
農工大学では博士課程に進む人材を求めていますが、学生の中には博士課程に進むと就職ができないと考えている人が少なからずいると思いますが・・・
小川
実際はそんなことはないんですよね。大学の教員側も企業の採用担当側も、実態を学生に積極的にアピールしていく事が必要だと思います。
博士号はマツダに転職してから取ったんですよね・・・
小川
前の会社では、仕事と研究を両立できなくて、研究がなかなか進められませんでした。
業務として研究ができる企業への転職を考えるようになりました。
就職活動を始めて、いくつかの企業を受けましたが、マツダが業務として研究ができることが分かったので、希望をしたところ採用してくださいました。
社会人ドクターの道が開けました。農工大は社会人ドクターの方が多く、その方々との交流でとても良い経験ができました。もちろん、いい先生とも出会うことができました。
広島で(チリからの訪問の友人たちと)
マツダに入ったのは業務と研究が両立できるということが大きかったんですね。
小川
それと、マツダの研究テーマと私のテーマが一致していたので、「来ないか」という話になりました。エンジンがらみの統計モデルを扱える人材を探していたようです。
また、以前からマツダは挑戦する会社という事を知っていました。誰もやったことのない商品作りをする会社で働きたいという希望もありましたので、入社できて良かったと思います。
最初の勤務地は広島でしたか?
小川
そうです。今は、マツダ株式会社・技術研究所(神奈川県横浜市)で研究中心の仕事をしていますが、最初は広島のパワートレイン制御システム開発部門で仕事をしました。
エンジンが内燃機関の場合、どのタイミングで燃料を噴射して着火させるか、そのタイミングを決めている部署です。
各社、内燃機関から手を引いていますが、マツダは最後まで内燃機関をやるという意気込みで取り組んでいます。
状況を考えると、内燃機関の将来性を不安視する学生が多いと思います。就職活動をしている農工大の学生さんで、「内燃機関を今後研究する仕事があるんですか?」と聞いてくる学生さんがいます。その学生さんは内燃機関の研究に熱い思いで取り組んでいて、その情熱を認めてマツダでは採用をさせていただきました。
農工大の学生さんは熱い思いで研究に取り組んでいる人が多いような気がします。
社会人になると、自分のやりたいことと会社のやりたいことをすり合わせていかなければなりません。その問題を社会人学生の方は乗り越えなくてはいけません。私の場合、応援してくれる方が会社の中にいたからできたのだと思います。
そこを乗り越えると個人的にも、会社にとってもプラスになると思います。
技術研究所1階のロビーにて・・・
マツダは農工大卒の新入社員の歓迎会をやっていますよね・・・
小川
農工大の卒業生は50人以上いて、コロナの前は広島で毎年開催していました。
広島にいる時に感じたことは、20代前半で結婚して、子育てをしている女性がかなりいるということでした。東京よりは、明らかに早い段階で結婚していると思いました。子育てを終えてから、キャリアを積むのは相当大変だと思います。
自分は、それまでにいろいろなキャリアを積んで経験を積んでいましたが、子育てをしながらだとできなかったと思います。時に独身でないとできないチャレンジもあったかな、と感じます。
世田谷の中学・高校の同期の人も含めて、現実は女性がキャリアを積むことがかなり難しいと感じています。男性の子育て参加も含めて、女性のキャリアアップを考え直さないといけないかなと・・・。何より、有能な人材を社会が利用できていないのがもったいないです。
私はたまたま結婚相手が農工大生だったので、研究を進める段階でも相談相手になってもらえたので、恵まれていたと思います。
まだまだ女性のキャリアアップは難しいと考えますか?
小川
工学部を卒業した後に専業主婦になっている人が多いと感じています。私と中学校の同期で進学校に進学した優秀な女性の方々が、専業主婦になっている事が多く残念に感じています。
子供が多い世代で競争が激しい時代でしたので、女性も優秀な方が多かったと思うのですが・・・
今の農工大生は女性の比率が高くなっています。多くの女性が農工大から社会に出て行っていますが、男性にはない女性の特性を生かして活躍してほしいと考えています・・・
小川
私の場合、いわゆる女の子らしい育てられ方をしてきませんでした。幼いころからLEGOやロボット、恐竜などが大好きでした。家庭科より技術の方が好きな子供でした。小学校のころからハンダゴテを使った電子工作をしたりしていました。
最近は男の方もそういった作業が苦手な方がいますよね・・・
小川
そうですね、自動車業界に入ってハンダゴテを握ったことのない男性がいることにびっくりしました。
車のコネクターを作らなくてはいけない仕事があります。最初に勤めたところでは、その作業ができる人間が私一人だったりしました。文系の男性が多かったのも原因だと思います。
研究一筋の様に見えますが、大学でサークル活動は何かしていましたか?
小川
武蔵工業大学では軽音楽をやっていました。ロックバンドのボーカルをやっていました。
農工大では博士課程の時に、ジャズ研に出入りしていました。ドラムをたたいています。研究が行き詰ったときなど結構ストレス発散になりました。
横浜ジャズプロムナードにて
今後マツダでどんなことをしていきたいですか?
小川
今まで複数の学部をまたがって研究をしてきました。色々な場面に応じて今まで勉強してきた各専門分野を応用して、多くの人が生き生きと過ごせるような提案や研究をしていきたいと思います。
開発と研究所をつなぐことが今後ますます大事になりますので、若手を育てながら研究を続けるポジションを探したいと思います。自分でテーマを新たに作ったり、そのテーマについて周りの人と協働して研究していければと思います。
例えばマツダという枠に囚われずに、他の自動車メーカーの人と協働で研究ができるようになるといいなと思っています。各社の持っている強みを寄せ合って、より質の高いものを目指すプロジェクトがあればいいなと思います。その結果は、日本の自動車業界のためになると考えています。
農工大のMOTでは、自動車業界だけではなく多くの業界の人と繋がることができました。そういった経験が生かせるようなことがあればいいなと思っています。
マツダ株式会社・技術研究所(神奈川県横浜市)
最後に、後輩の在校生に一言お願いできますか?
小川
この技術を作りたいというアプローチではなくて、今何が求められているのかとか、世の中に何が必要かというのを考えられるエンジニアを目指してほしいです。
現場にも精通していて、研究も先読み出来る事を目指して欲しいです。難易度が高いとあきらめてしまう人が多いんですが、研究し続けることで乗り越えられることが多いですよ。
周りの人や家族に反対されても「あきらめないで欲しい」と思います。自分の人生なのでほかの人に言われてやるのではなくて、自分でやりたいことに向かって進んで欲しいです。
壁にぶつかったときに、回り道をしても良いと思います。そういう余裕も必要だと思います。自分のやりたいことがしっかりしていれば、遠回りしても良い結果が得られます。
【編集後記】
お話を聞いていて、私と考え方が似ているなと感じました。予定時間をオーバーしての取材でしたが「そうそう・・・」「同感!」という感じでお話をすることができました。
私は研究という道には進みませんでしたが、小川さんの住んでいる世界と共通の課題があるなと強く感じました。
俯瞰して物事を見ることは難しいですが、イノベーションを起こすためには、俯瞰できる人材が多くなることが必要だと感じました。
今後小川さんご自身の研究活動を広げるとともに、若い方々の育成にも取り組んでいっていただけたらなと思いました。
こうほう支援室 池谷記