東京農工大学は、様々な分野に多くの同窓生を輩出しています。芸能界でも活躍している方々がいらっしゃいます。
2023年5月5日に真打に昇進した落語家の立川小春志(たてかわこしゅんじ)さんもその一人です。本名は廣瀬麻美さんで、平成17年3月に応用生物科学科を卒業されています。
師匠立川談春さんの厳しい指導の下、真打に昇進した唯一の落語家で、立川流としては初めての女性真打落語家です。
また、すでに交流ラウンジのイベント報告でもご紹介しましたように、2023年9月7日に東京農工大学広報大使に任命されていて、農工大学の知名度アップにご尽力いただいております。
真打の女性落語家として、落語道に磨きをかける小春志さんに取材を申し込んだところ、快諾してくださいましたのでご紹介します。齋藤同窓会事務局長とお話を伺いました。
立川小春志さん
Ⅰ:はじめに
齋藤:ネットなどで見ると大変お忙しそうなのに、本日は時間を作っていただいてありがとうございました。
小春志
真打のお披露目の前後で、ご連絡がなかなか出来なくて申し訳ありませんでした。
この同窓会施設はとても立派ですね。内装も素敵です。
池谷:農工大の演習林の木材を使って、壁や机を作っています。
小春志
昔、津久井の施設には泊まったことがあります。応用生物の研究室の年末中間発表会をやりました。岩淵先生や平岡先生にご指導を受けました。津久井の施設も内装に演習林の木材を使っていると聞きました。
内装が素敵な同窓会会議室
Ⅱ:学生から落語家への道
池谷:出身はどちらですか?
小春志
生まれは港区です。学生の頃は表参道駅が最寄り駅でした。学部の4年間はそこから通いましたが、大学院に入ってから一人暮らしを始めたので、府中で暮らすようになりました。
池谷:高校時代は何かサークル活動はやっていましたか?
小春志
中学高校は、パイプオルガン部でした。キリスト教の学校だったので、身近な存在でした。
後は受験勉強だけでした。ほとんどの人が内部進学をしてしまうので、受験勉強をしている人はあまりいませんでした。
池谷:大学はどこを目指していましたか?
小春志
東大を目指していました。昆虫の研究を出来るところに行きたかったので、前期試験は東大の理学部を受けました。
昆虫とか生態系の研究の出来るところは、都内だと東大の他は農工大とか北里とかになります。先生から、東大の後期試験は浪人が強いので、農工大を受験したらどうかと勧められたので、農工大を受験しました。
齋藤:今でも、昆虫に触れ合っていますか?
小春志
昆虫の標本箱の管理をしたりしています。学生時代、岩淵研究室にいた昆虫研究会の先輩に、「青山に昆虫の標本を扱っている専門店がある。」と聞いて、実家に近かったので色々なグッズを揃えました。
先輩が標本の作り方を丁寧に教えてくれて、好きだったゴミムシ・オサムシの標本を作りました。今でも持っています。
今でも大切にしている昆虫の標本
池谷:私は趣味で園芸をやっていますが、花が咲くと多くの昆虫が来ます。
小春志
私も今年初めて「あしたば」を育てましたが、案の定キアゲハがやって来ました。
昆虫は好きな植物が決まっているので、植物の種類を見ると集まってくる昆虫の種類が想定できたりするんです。
岩淵先生は、森の状況を見てここには目的の昆虫がいないという判断をしたりしていました。
池谷:岩淵研での卒論のテーマは何でしたか?
小春志
粘管目昆虫の「トビムシ」の初代培養(注1)の研究をしました。
トビムシを選んだ理由は、写真で紹介されることは少なく、イラストでこんなのがいますよ的な紹介の仕方で、分かってない時代だったので選びました。昔から存在することは分かっていたのですが、調べられていなかったという事です。
先ず見つけるところから始めました。高尾山でトゲトビムシというのが見つかって集めてきて研究室で飼いましたが、生態が分からないので繁殖方法が分かりませんでした。雄雌の見分け方すら分かっていませんでした。ある程度たってから培地を探すことになりました。進化上下位にある粘管目の培地なので、研究室にある培地ではなくて新たに作らなければなりませんでした。培地を作る時間が長かったです。卒論締め切りのギリギリのところで、培地に入れた血球が生きた形で取れました。卒論はそこまでです。
培地設定と殺菌設定とか狂ったくらい作成に集中しました。研究は好きだったので出来たと思います。後継者がいなかった事が残念でしたが・・・
注1:細胞を組織から採取し、適切な条件下で、利用可能な基質のすべてを覆うまで増殖させる培養段階
池谷:落語研入部のきっかけは何ですか?
小春志
サークル勧誘で、応用生物の先輩が尾張屋へご馳走に連れて行ってくれて、そのあと先輩について行ったら落語研究会の部室だったという訳です。この一つ上の先輩が、立川流の落語が大好きで立川談志の大ファンでした。うちの師匠(立川談春)の独演会に連れて行ってくれたのもその先輩でした。初めて師匠の落語を聞いた訳ですが、すごかったですね。
池谷:私は人に衝撃を受けたことがないですが、小春志さんは談春さんに一生をかけるみたいな感じで入門したわけですが・・・。
小春志
知らないものを初めて知った衝撃というのは、どんなジャンルにもあると思います。
落語研究会に大学のころから入部していて、100回以上寄席に行ったり落語会に行ったりしていました。なので、落語ってこんな感じという感覚は持っていました。この師匠ならこの落語といった感じです。
師匠の落語を聞いた時に、今までとは違う迫力と説得力に衝撃を受けました。自分が思っていた落語じゃない凄さを感じました。
音楽に対してもそういうことがあります。ジャズやクラシックを何気なく聞いていて、突然迫真の音楽に出会うことがあります。そんな時、この曲の作曲家は誰なんだろうとはまっていったりします。
うちの師匠との出会いはそれ以上のもので、衝撃を受けました。
それと、学部3年の時で就職活動を始めるタイミングでした。落研にいたこともあり、人前で何かを話したり伝えたりすることに興味がありました。また、塾のアルバイトもしていことがあり、教育業界で何かしゃべるという事を考えていた頃でした。
そんな時に談春師匠の落語を聞いて、何百人の聴衆が引き込まれていく様を見て憧れを感じました。
池谷:岩淵先生は落語家になる事に反対はしなかったんですか?
小春志
猛反対でした。マスター1年の終わりで学会発表の準備をしていました。また、次年度研究の計画も考えていた時期でもあります。研究の世界と落語の世界、選択の時が来ていました。
先生からすると、「研究の大変さから逃げているんじゃないの?」という事だったと思います。
また、「昆虫の道を捨てたら、落語以外に好きなことがなくなってしまうんじゃないの?」「落語が行き詰った時に、行き場所がなくなってしまうよ。」とも言われました。「落語を趣味にして、心の逃げ道にしたほうが良いんじゃないの?」というご意見でした。
「落語家の弟子になりたい」「落語の世界で一生生きていたい」と若気の至りではありましたが、そのように先生には話しました。
落語の世界に行くことにしたのは、この時を逃したら落語の世界にはいけないと思ったからです。来年度に払うための学費を資金にして落語の世界に入りたいと思って決めました。
実際、その世界に入ってみるとすごい世界でした。入るときには、ここまで厳しいとは思っていませんでした。でも入ってしまったので、後戻りはできません。
齋藤:入門すると住み込みになりますか?
小春志
そうではなくて呼ばれたら行くという感じです。「今から来い」と言われたら今から行かなければいけないんです。24時間師匠のことを考えて尽くして働くというのが前座です。
齋藤:携帯が無い時代は大変でしたでしょうね?
小春志
昔の方は家の電話の前にずっと座っていたそうです。今でもシャワーに入っているときも、携帯電話を近くに置いています。
先輩からの電話も同じで、「飲み会に来い」と言われると駆けつけなければなりませんでした。立川一門は特に厳しかったと思います。今はかなり優しくなりました。真打になると「今来い」ではなくて「いつ来れる?」という事になります。行かないという選択肢はありませんが・・・
齋藤:今の世の中、そういった封建的な感じだとやめたりしませんか?
小春志
皆、そのことは分かって入ってきますよね。落語という芸に憧れてこの世界に入ってくるわけです。
落語家になるって、就職ではないんです。落語家になるって、その人の生き様だと言われています。死ぬまで芸のことを考えて生きていくわけです。「いやならやめな」という言葉がありますが、いやになってやめる人はいます。
池谷:広報大使の任命式の時に千葉学長が言っていた言葉があります。「小春志さんが落語家になりたいという事ではなくて、談春さんの弟子になりたいと言って研究室を辞めたという事に、指導者として考えさせられました。」と言っていましたね。
小春志
私は、研究室を去って落語家の師匠のところに行ったわけです。そのことに対して千葉学長は、「この人の研究室で一生研究を続けたいと思われる研究者になっているのかという自戒の念が湧いた。」と仰っていましたね。とても良いことをおっしゃっていたと思います。千葉先生は研究者として素晴らしいと思いました。
千葉学長と共に(広報大使任命式にて)
研究室が嫌でやめたわけではなく、研究室の岩淵教授も立川談志さんが好きで、良く落語の話をしていました。また、研究室は好きなことをさせてくれる研究室でした。先輩の研究を引き継ぐのではなくて、好きなテーマを決めて研究を進めさせていただきました。
実験の条件設定を決める時に、これを調べないと次に進めないという事があります。ゼロから進める時に、自分ですべてやるという訓練を研究室でさせて頂きました。
談春師匠の所に入ってから、事細かに教えてくれることはありません。自分で見て覚えて勉強しなさいという事ですね。
太鼓を覚えなければいけないとか、三味線の曲も覚えなければいけないとか、着物のたたみ方や自分がどこに居なければいけないのかも自分で考える必要がありました。
談春師匠のもと、何も知らないところから自分で考えるという訓練は、研究室の時に養われたと思います。今の人には無理な要求かも知れませんね。フレームを提示しないと難しくなってきています。
Ⅲ:真打昇進の話
池谷:今回17年目で真打になりましたが、それ以前にも昇進という話があったと聞きますが・・・
小春志
以前にもありました。師匠から昇進の話を言われました。あまりにも厳しすぎて、師匠を受け入れられないくらい精神的にも追い詰められていた時期でした。「えっ」という信じられない感じでした。その感触が、師匠からすると弟子から拒絶されたという様にとらえられたようです。それで師匠もそのことには触れなくなりました。私も好き勝手なことをしている時期ではありました。
そんな折、お世話になっていた禅寺の和尚さんからの話を聞きました。
・小鳥が生まれる時、中からつついても殻は割れない。
・親が「コツン」と突くことによって殻が割れ始める。
・卵の成熟度と親が突くタイミングが合って初めて生まれる。
というようなお話でした。
師匠の「良いよ」というタイミングと、弟子が本気で「なろう」というタイミングが一致しなければ大成しないという事を教えたかったんだと思います。今回は、このタイミングが一致して、機が熟したという事だと思います。今回もなっていいよと言われて、何も言わずに「はい」と言いました。
池谷:立川流では誰が真打と認めるんですか?
小春志
自分の師匠が決めれば認められます。去年の7月に師匠から言われて、11月21日が談志師匠の命日なのでその日にスポーツ報知に第一報を出して、立川流一門の皆様に葉書で「来年昇進します」とお知らせしました。それから、今年の5月5日に昇進という運びになりました。
池谷:前座と二つ目と真打の違いってどんなことがありますか?
小春志
前座は、色々な雑用をしなければなりませんが、二つ目になるとそれは前座に任せて、落語を演じることが役割になります。二つ目になるには、立川流の場合
・古典落語を50席語れる
・日本舞踊を踊れる
・端唄・小唄・都々逸といった昔の歌が歌える
・講談がひとくさり語れる
というのが条件です。
真打になるには集客という視点が加わります。お客さんが技量を認めて来てくれているというのが判断基準になります。お客さんが支えてくれているかどうかという事でもありますね。もちろん落語は100席以上覚えています。そうでないと仕事になりませんから・・・
齋藤:新作もそのうちの一つですか?
小春志
新作はその人のものなので、売れる噺が3つあれば食べていけると言われています。私は、新作は作っていなくて古典ばかりです。立川一門では、6割の人が古典だけをやっています。4割の人が新作も演じています。
池谷:昇進してから変わったことってありますか?
小春志
今まで「こはるちゃん」とかわいがってくれた人が、「小春志」さんと呼んでくれるようになりました。二つ目時代の私の努力を認めてくれたという感じでしょうか。
池谷:談春さんは小春志さんが真打になったことをとても喜んでいるように思いますが・・・
小春志
伝わりにくいですよね。私には小言にしか聞こえませんが、師匠曰くずっと褒めてきたそうです。話しかけてくれるというところが、褒めているという事なんでしょうか。
Ⅳ:場の雰囲気を作る
池谷:話は変わりますが、ホームカミングデーの司会でパネルディスカッションの時に、その場の状況を読み取って話をまとめて構成していく力がすごいなと思いました。
小春志
場の空気を読むみたいなことは落語家になって学んだと思います。
パネルディスカッションの司会をする小春志さん
学会発表は、発表中は聞いてくれているのが前提です。たどたどしくても内容が良ければ納得してもらえます。もっと言えばゲラを読めば理解できるわけです。
ゲラというようなものが無い状況の中で話すという事は、落語家になって初めての経験でした。その場の雰囲気も感じながら話すという事は、同じ壇上で話すわけですがテクニックとしては全然種類が違います。
落語家は、お客さんがどういう姿勢で聞いているかを見ながら話をしています。パネルディスカッションの時も、学生さんの顔を見ながら進行をしていました。
池谷:今年のホームカミングデーの雰囲気は例年とかなり違ってアットホーム的に感じました。一方的にものを伝えるという感じではなかったですね。
小春志
私の力ではなく、岡田先生の発表が雰囲気を作ったと思います。先生は一般向けに話を進めたと思います。分からないこともあるかも知れないけれど、こういう未来があるという事を伝えられていましたので、皆さん共感したのだと思います。
私から見ていて岡田先生は、話すだけではなくて聞き手の姿勢(笑っているとか、聞き入っているとか・・・)も見ていました。ピンチヒッターだったのに、あれだけの講演をされていて素晴らしいと思いました。
この場を楽しもう、この大学に期待しようという雰囲気が生まれましたね。
池谷:私も取材にお邪魔したり、支部総会で大学の近況をお話したりしていますが、エネルギーの交換をしている感触です。エネルギーの交換の中で色々なことが見えてきます。
小春志
似たようなことで、色々と行き詰ったりしている人が落語会に来てくれることがあります。落語を聞いて話の内容ではなくて、その空間にいることで癒されて元気になったと言ってくれることが多いです。エネルギーの交換ができたという事でしょうか。うれしいですね。
CDとか映像というのを私はやっていなく、ライブが信条です。来ていただいて聞いていただいて初めて成立すると思っています。
池谷:インタビューしている時、相手の反応を見ながら話を展開しています。展開しているうちに話が盛り上がって、思いもよらないことを話してくださったりします。
小春志
人の話を聞くってとても大事なことですよね。子供のころから落語を聞いて、人の話を聞く訓練をしたほうが良いと思ったりしています。
私自身の経験則として、以前より子供さんが落語を聞いて理解する力が落ちている気がします。YouTubeにしても、画像にテロップが流れてきてそれを見て理解するようになっています。話を聞くという事からの理解ではないわけですね。
子供のころから訓練しておくことが必要だと思います。
齋藤:文字を覚える前は言葉で理解しますよね。孫はとんでもないことを言ったりしますが、文字は理解できません。
小春志
色々なデバイスが現れてきて、幼児の時のような能力が衰退してきているんでしょうか。
齋藤同窓会事務局長(小春志さんの色紙を頂きました)
池谷:内容を理解できない子たちにも、落語を聞いてほしいと考えていますか?
小春志
落語という選択肢があることを知って欲しいと思います。
今は自分たちの知らないものは、端から受け入れない傾向がありますので、子供のころから落語に触れてもらって、選択肢の中に加えてもらえたらと思います。
大人になった時に、子供のころに触れたことのある落語を見直してもらえる可能性があると思います。
Ⅴ:経験の素晴らしさ
池谷:研究するときの物の考え方と、今の活動に繋がるものがありましたか?
小春志
条件設定の作り方は今も同じかもしれないです。
コロナの時に、ライブで仕事ができないという状況でした。そんな時に何かやりたいことを考えて、いっぱい並べて選択をするという作業をしました。
その時の条件設定の作り方は、共通のものがあったと思います。その中に、落語の情景を絵にした「落語の塗り絵」というのがあったんですが、私が忙しくなったので、今は中断していますが、実現したいです。
池谷:研究室時代の経験が、落語の世界でも生かされていると感じますが・・・
小春志
女性のいない立川一門に入るそのこと自体がゼロベースだったわけです。逆に何をやってもいいいという状態だったと思います。
人生何をやってもいいと思います。事業を始めて10年以上たってやめてしまった友人がいます。若い人は、失敗した人という感じを持つかもしれませんが、これから何をやってもいいわけで、そこでおしまいという訳ではないわけです。
真打のお披露目公演を10回やるというのも、今まで誰もやったことがない訳です。内容はともかく企画は師匠方に褒めてもらいました。
始めのうちは、手伝いの方々もあまり乗り気ではありませんでしたが、回を重ねるごとに毎日満員で皆頑張ってくれるようになりました。
私は、結果をみてやり始めるんじゃなくて、ゼロベースの企画段階から一生懸命やってくれよとキレました。信頼関係は失われましたが(笑)、良い会ができたと思います。
池谷:私は本学を卒業してから、農工大学の事務官になりました。
17年働いて自分でお店をやりたくて、一旦やめました。その間日雇いをやったりホテルに勤めたりして自分で飲食店を開業しましたが、腰を痛めて再び事務官に戻りました。
一見失敗したように見えますが、私にとってその経験があって今があると考えています。いろいろな人達に出会うことができて、大きな財産をもらったと思っています。
小春志
学生時代に、小平の山崎製パンで3年半アルバイトをしたことがあります。ベルトコンベアーに中華饅頭を載せるという作業を5時間以上ずっとやったりしていました。
リストラされたおじさんとか、海外からの留学生とか博打で身を滅ぼした人とか、いろいろな人たちと出会うことができました。
農工大の学生は比較的身分が安定していますが、アルバイト先でどん底の人達も見ることができました。そういう人たちも受け入れるようになって、器が大きくなった気がしています。
齋藤:小春志さんの話し方だと、おじさんと仲良くなれると思います。
小春志
私自身の雰囲気は、農工大で育てられたと思います。中学高校は青山学院なので、そういった素養は形成されなかったと思います。
Ⅵ:落研の部室
池谷:先日落研の取材に行きましたが、小春志さんはよく部室を覗いてくれると言っていました。
小春志
前座で貧乏な頃に3畳くらいのワンルームにいて、うちにいてもつまらないので、よく部室に足を運んでいました。
池谷:落研代表の方お一人に取材を頼んだのですが、何人も集まってくれて取材に応じてくれました。
小春志
授業が終わると、自然とみんな部室に集まってきていましたね。工学部からもきます。部員は全部で10~15人くらいですね。
池谷:今は厳しくなって出来ませんが、私のころは遅くなると部室に泊まったりしていました。
小春志
私のころもそういった事はありました。林学科の学生は演習に出かける時、朝が早いので部室に泊まっていたりしていましたね。夜、溝口という酒屋からアルコールを買ってきて、皆で鍋をつついたりしていました。良い時代でしたね。
池谷:同窓生で小春志さんの先輩で柳家小八さんという人がいますが、交流はありますか?
小春志
小八師匠は落語協会に所属していますので、ほとんど交流はありませんが、落研のOBとして会ったりはしています。
私が学生時代に、着物のたたみ方を習ったりしたことがあります。落語界に入ってからも現役学生さんの稽古時に、私が行ってたまたま小八師匠が来ているという事があったりはしました。
落研の部室ってそんな交流の場所でした。
落研の部室
Ⅷ:終わりに
齋藤:本日はお忙しい中、インタビューにお答えいただきありがとうございました。色々と落語のお話を聞かせて頂き、有意義でした。
小春志
こちらこそありがとうございました。農工大学広報大使として、大学の知名度が上がるようにこれからも頑張りたいと思います。
来春1月28日に武蔵小金井の宮地楽器ホールで、「新春昇華爛漫の会」が開催されます。私も出演しますので、その場で農工大の広報に努めたいと考えています。
宜しければ足を運んでいただけると幸いです。本日はありがとうございました。
※詳細は、交流ラウンジのイベント情報をご覧ください。
【編集後記】
小春志さんのお話を聞いていて、頭の回転の良さと相手の質問の真意を読み取って的確に答えを出す力を感じました。今までも色々な状況の中で、その場の雰囲気を読み取って、はっきりとした物言いで、相手を納得させてきたのでしょう。
落語の世界で苦労をしてきたのでしょうが、それを感じさせずに明るくご自分を表現されていて、良い人生を送っておられると思いました。これからのご活躍をお祈りするとともに、落語研究会後輩との交流も続けて頂ければと思いました。
こうほう支援室池谷記