富山県に移住して、雑貨や洋服、アクセサリー、スツール、安楽椅子などを販売しているお店を営んでいる同窓生がいます。岩崎朋子さん(林学H3)です。
岩崎朋子さん
岩崎さんは、2003年に東京都世田谷区の等々力で、家具と雑貨の店「巣巣」を開業しました。2018年5月に一度店を閉め、2020年6月に富山県の立山町の古い集落にある昭和40年に建てられた家が見つかり、同じ「巣巣」という名前の店を開業しました。
お店では、国内外で岩崎さんがセレクトした商品を販売しています。また、買い物の合間に休憩できるカフェスペースを併設して、ゆっくりとした時間と空間を満喫できるお店になっています。
今回は、現地にお邪魔して岩崎さんのお人柄に触れることができました。
インタビューは令和6年能登半島地震の前の、2023年10月中旬に行いました。地震の後ご本人に連絡を取りましたところ、富山県でもとても揺れましたが大きな被害はなく活動を続けているという事でした。ご報告まで。
Ⅰ : 学生時代
お生まれは何処ですか?
岩崎
東京の八王子出身です。八王子から農工大に通っていました。
農工大は実家から近いという事で選んだのですか?
岩崎
それもありますが、もともと理系を目指していました。
高校の教科で言うと「生物」が生かせる分野を考えていましたので、農工大が視野に入りました。
学生時代はサークルとか入っていましたか?
岩崎
ハイキング部に入っていました。山登りもしていました。その時にも立山に登った経験があります。
まだ、立山に登ったことがありません。
岩崎
とても簡単に登れますよ。小学生も登っています。室堂までバスで行けますので、そこから往復4時間くらいです。
林学科の研究室では、どのような分野を研究しましたか?
岩崎
指導教官の塚本先生は、砂防の専門家でした。砂防は山などに起きる土砂崩れなどに対する防災を考える研究分野です。木が生えている山について考える学問です。
卒論はどんなテーマでしたか?
岩崎
斜面に雨が流れる時にそれを解析するのに、電気伝導度を雨水流出解析に使えないかという事をテーマにしました。波丘地を研究場所にしていました。台風が来ると出かけて、1時間ごとに雨水を調べるような事をしていました。今でも波丘地はありますか?
ありますが、周りが宅地化されてしまいましたので、昔のような環境ではなくなっています。
現在の波丘地(FM多摩丘陵(東京都八王子市堀之内))の研究棟近辺
宅地化が進む近辺の様子
砂防の分野に進まなかった理由は?
岩崎
私はもともと木が好きでしたので、人間の暮らしにもう少し木が取り込まれたら、暮らしが楽しく健やかになるのではないかと思うようになりました。23歳くらいの時です。砂防の分野にはのめり込みませんでした。
家具は自然の木の様に見えても、合板とか修正材という事が多いですよね。自然の木の家具が、普通の人でも買えたらいいなと思って、家具の分野に進みました。
Ⅱ : 東京で「巣巣」を開業するまで
学部卒業後は?
岩崎
普通の会社に2年位勤めました世論調査とか市場調査をする会社です。
ご主人も同窓生のようですが、ご結婚はいつ頃ですか?
岩崎
主人は砂防職で林野庁に入りました。山地災害の仕事をやっています。結婚は、24歳の時で、会社勤務が終わるタイミングです。すぐ夫が鳥取県の米子に転勤になってついて行きました。米子で職を探しましたが、夫が転勤する可能性があったため、なかなか職は見つかりませんでした。
もともと家具に興味があったので、木の家具のデザイナーを目指そうと思うようになりました。武蔵野美術大学の通信教育でデザインの勉強をしました。
それから、職業訓練校に行って木の家具を作る勉強をして、木の家具屋さんで2年くらい働いて、2003年に独立して東京に店を構えました。
東京のお店は等々力渓谷の近くという事でしたよね。等々力を選んだ理由は?
岩崎
等々力駅から歩いて10分くらいのところです。自分で準備をしながら、店舗は世田谷区で50件くらい見て回りました。等々力に100㎡くらいの物件を借りて一から家具屋をやろうとしました。今思えば無謀なことをしたなと思いますが・・・
世田谷区を選んだのは、購買層を考えたからですか?
岩崎
そうですね。100㎡というと、自動車修理工場の跡地とか、新聞販売所をクローズした所とか、あまり良い物件がありませんでした。50件目でやっと見つけることができました。一カ月くらいかかりました。
100㎡というと、33坪ですので結構広いですね。
岩崎
借りたところは、150㎡あって結構賃料も高かったです。40万円くらいだったと思います。
考え様によると安いかもしれませんね。
岩崎
そうですね。それから東日本大震災の時まで普通に経営することができました。スタッフも一人雇っていました。震災の影響で売り上げが落ちてきて、何とかしないと倒産すると思うようになりました。スタッフの給料のこともあり、一旦クローズしようかなと考えたりしました。大家さんにその旨を伝えましたが、震災の後という事もあって40万円では新たに借りる人もいないという理由で、賃料を半分にしてくれるという話になりました。その時、たまたまスタッフも郷里に帰るという事で給料の問題も解決して、その後2018年迄等々力で7年間営業を続けました。都合15年間東京でお店を続けました。
等々力の「巣巣」の店内
始めた頃っていきなりお店をはじめる訳だから、お客さんの開拓はどのようにしましたか?
岩崎
こんな店を始めますというプレスリリースを作って、100軒くらいの雑誌の編集部に送りました。「Hanako」「an・an」とかの雑誌には、ニューオープンというコーナーがあって、結構多くの雑誌が載せてくれました。それを見た「GINZA」という女性向けの雑誌の方が取材に見えて、インテリア特集という形でお店を紹介してくれました。さらに「GINZA」を見た、「王様のブランチ」というテレビ番組の女性ディレクターが取材に来てくれて番組で紹介してくれました。それで結構お客さんが来てくれるようになりました。
雑誌を利用するほかに、何かやりましたか?
岩崎
若干営業的なことはしました。よく行くカフェに行って、お店のパンフレットを置いてもらったりしました。たまたま隣に座っている人が、インテリアデザイナーをしている女性で、店舗デザインをやっている人でした。それが縁で、担当している物件で使ってくれたりしました。そして、全国展開している洋服屋さんを紹介してくれたりもしました。若い人向けのカジュアルな洋服を取り扱う方でしたが、気に入ってくれてお店で使う家具をいっぱい買ってくれました。そんな感じで軌道に乗りました。
開業当時、家具の製造は中国に依頼していたようですが・・・
岩崎
もともとデザインを勉強している時から、海外志向が強くて仕事で海外に行きたいと思っていました。家具を作るなら海外で作ろうと思っていました。独立する前に2年ほど勤めていた家具屋さんも、日本の有名なデザイナーにデザインしてもらって、インドネシアの自社工房で作っていました。その会社で、海外で製造するノウハウを学ばせていただきました。
中国の工房はその会社にいる時に知ったのでしょうか?
岩崎
親も香港で仕事をしていましたので、香港の知り合いの人に聞いてもらいました。紹介していただいた様々な工房を父とともに訪れて、試作してもらったりして見つけることができました。自分でデザインした木の家具を、提携した中国の工房で作ってもらって販売を開始しました。
家具の他に雑貨もやっていましたよね。雑貨は自分で作ったりはしますか?
岩崎
雑貨は仕入れたものを販売していました。9年間ぐらい家具の勉強をしましたが、最後の1年間にイギリスに語学留学しました。海外で活動するのに英語の習得が必須だと考えたからです。その時ホームステイした先のお父さんがラトビア人でした。家の中にラトビアの素敵な雑貨が置いてありました。それで、ラトビアに訪れてみました。それがきっかけで、ラトビアの雑貨を仕入れることになりました。雑誌のプレスリリースに「木の家具とラトビア雑貨のお店」という形で紹介しました。当時はラトビアという国はほとんど知られていなくて、プレスリリースを見た方が取材に来てくれたりしました。ラトビアに出会えたのもとてもラッキーでした。
人との繋がりを大事にしていたから出会えたとも言えますよね。
岩崎
今振り返ると、全部そんなつながりでここまで来た感じです。
Ⅲ : 富山で「巣巣」を再オープンするまで
富山に店を開いた時の話を聞かせてください。
岩崎
東日本大震災があったりして、だんだん売り上げも思うようにいかなくなった時、どうにもならなくなってから店を閉める事はすごくエネルギーがいると考えていました。
良い時に次のステップに移りたいと考えるようになりました。木の家具は重いし一人でやるのはそろそろ限界と感じていた頃でした。東京は家賃も高いし、このままずっと家賃を払い続けるのはもったいないと思いました。一回東京の店は閉めて、もう少し自然を感じられるところで70歳80歳までできる店作りを考えました。
2018年で50歳を迎える時でした。候補地を探す時間を取って、2020年くらいにオープンすればいいかと考えて、2018年の年末に店を閉めました。翌年4月に夫が富山に転勤になりました。その年に茨城県の友達の田んぼを手伝うことがありました。5月に田植えを手伝った時に、初対面の方が私と同じ車に乗っていて富山の話をしました。その人の幼馴染の人が富山に移住して、民泊をやっているから行ってみてという話がありました。その民泊を予約して行ってみました。その当時は、三浦半島とか真鶴あたりが良いかなと思っていました。その民泊の施設は、築何十年という家を手に入れたものでした。広い家で梁も太くてとても素敵な家でした。
その時に、富山も良いかなと思いました。民泊のオーナーさんに同じ立山町の近くの物件を教えてもらって、この物件に巡り合い、お店やるのにちょうどいいなという事になりました。土地が150坪ついていて400万円で買えました。神奈川県では2,000万円出しても良い物件はなかったです。
リノベーションはしましたか?
岩崎
600万円くらいかけました。でも2,000万円かけて意にそぐわない物件を買うより、ずっとお買い得だったと思います。昭和40年に建てられたもので、築57年でした。はじめの持ち主が20年くらい住んでいました。次に買った人は住んではいなくて、物置みたいにして使っていたそうです。それなのに、ちゃんと手入れはされて傷んではいませんでした。水回りの設備は直しました。
富山の「巣巣」
今は家具はやっていないのですか?
岩崎
今はほとんどやっていなくて、等々力の頃からお世話になっていた福井の工房の物を取り扱っていましたが、その工房もそろそろ閉めるという事になっています。等々力の店の後半には中国での生産が難しくなって、インドネシアのバリ島の工房で作っていました。とはいっても、富山に慣れてきたので、いずれは家具を再開したいと思っています。再開するとしたら、インドネシアでの生産を考えています。慌てずにゆっくりとやっていこうと思っています。
2020年からコロナになって、輸入もままならなくなったと思いますし、外出もできませんでしたから、そのまま等々力で店を続けていたら間違いなく倒産していたと思います。今ここは買い取りなので家賃もないですし、予約制にしたのでお客さんもコロナの心配もなく普通に来てくれています。
家賃って大きいですよね・・・
岩崎
大きいですよね。
「巣巣」という店名の発想は?
岩崎
おうちの中で使うものをちょっとずつ集めてもらって、お客さんの巣作りのお手伝いをするという発想でした。
私がイメージしたのは、「巣巣」というお店があって人がこに人が集まってきて欲しいという事なのかなと思っていました。巣で暮らす鳥たちのような感じですが・・・
岩崎
そうではなくて、お客様が「巣」を作るというイメージでした。今は、ここが巣というような感じも出てきました。 東京時代はお客さんが家具を選んで、その過程でエネルギー交換ができるという感じでした。ショップに来てもらうような感じではありました。
富山では気が合う人とフレンドリーにすぐエネルギー交換ができるようになりました。家に来てもらうような感じですね。
予約にしてよかったと思います。予約という方法は少しハードルが高いですよね。誰でも来るという訳ではなくて、自分でひと手間かけて予約をして、ほんとに期待している人だけが来るという感じです。
予約制という事ですが、人数制限などしていますか?
岩崎
一つの枠に最大でも3、4組、8人ぐらいで締め切っています。人気の作家さんの展示の時ですと、1日で16組くらい来たりしますが、1組のこともあります。普段は最大で8組くらいで受け入れるようにしています。
富山県の人が多いんですか?
岩崎
富山県の方が多いですが東京・石川・新潟・長野・岐阜の方もいらっしゃいます。人気の作家さんの展示の時は日本全国から来ます。
富山県の方に、「農工大を出てこんなところで仕事をしてもったいない。」と言われたことがあります。「勿体ないという事は無くて、羨ましがる人もいますよ。」と言いました。農工大時代の経験は、今のものの考え方に生きていると思います。なので、勿体ないことをしたとは思っていませんし、農工大で学べて良かったなと思います。
東京の店をクローズした時も、もう少し自然を感じたいと思ったわけです。大きな木の近くで暮らしたいというのがありました。学生時代に演習林に行ったりして、木に対する憧れみたいなものが醸成されたと思います。
Ⅳ : 富山のすばらしさ
富山は立山を望めたりして、自然が身近でこの地を選んで正解だったと思いますよ。
岩崎
そうですね、神奈川県とは違った意味で自然を感じられて正解だったと思います。
敷地内から立山連峰を望む
世界一美しいと言われるスターバックスがあったりもして、富山は結構外国の方に人気ですよね。
岩崎
東京から新幹線を利用すると2時間くらいで来ることができます。市内から立山が見えたり風光明媚で、黒部観光の拠点だったりするので、多くの外国の方が訪れます。
富山は今年暑かったですか?
岩崎
猛烈に暑かったですね。10月に入って急激に気温が下がりましたが・・・
私は長野県の白馬のホテルに勤めていたことがありますが、ある日突然降りだして根雪になったりします・・・
岩崎
徐々に降るというよりも、一気に降ることが多いですね。お店を始めたのは2020年でしたが、その年の冬が地元の人がビックリするくらいの豪雪でした。
雪が降るのは12月の末ですか?
岩崎
例年は、本格的に積もるのは1月からです。2月いっぱいは積雪がありますが、3月になると雪はもうほぼありません。この辺りは、この家がすっぽり埋まってしまうくらい降ります。冬の間は、雪かきしていれば仕事したという気持ちにはなります。
雪が解けて春が来て色々なものが芽吹いてきますよね・・・
岩崎
それはもう素晴らしいです。地球ってすごいなと毎日感じますね。一面真っ白な世界の下では既に生き物が活動していて、雪が解けると一気に活動を開始します。
今園芸をやっていて植物を種から育てていますが、とても小さな種から芽が出てきて、大きく育って花を咲かせるのを見ていると、植物の生命力を感じます。地球ってすごいなと感じますよね・・・
岩崎
本当にそう感じます。光と水と空気中の炭素でこれだけの物ができるという事を見て、地球そのものが生き物なんだと感じます。
一つ一つの小さな生命が繋がっていて、地球を形作っていることを毎日感じます。
わたしの庭では、昨年からトカゲが棲みつくようになりました。ナメクジが多かったんですが、トカゲが食べてほとんどいなくなりました。自然ってそんな風にして繋がっていますね・・・
岩崎
リトアニアの話ですが、地下にある駅の公共トイレが有料でお金を徴収する人がいます。初めは、なんでそのような仕事をしているのかなと思いました。でも、この人もほかの人達と繋がっていて地球を支えているのだなと考えるようになりました。
この辺でも夏になると、除草が大変になると思います。私の庭でも除草が大変ですが、除草剤を撒こうとは思いません。草も生命力を駆使して頑張っているんだなと・・・
岩崎
この辺だと、ヨモギとドクダミとスギナがたくさん生えてきます。実は、これらは煎じて飲んだりすると体に良かったりします。日本人は、とてもたくさんの薬を飲んでいます。だけど、庭に生えている雑草でただで健康になる事も出来ますよね。
敷地内の様子
草むしりはやったことが目に見えて、成果を感じられます。
岩崎
確かにそうですね。夏場は10日に1回くらいの割合で除草します。大変ですが、庭仕事をしたりして自然と接していることで、精神的にも安定します。
立山を目にしながら、自然を肌で感じられるのは素晴らしいことですよね。
Ⅴ : これから
今の店の宣伝ってどんな感じで行いましたか?
岩崎
もともとの「巣巣」がある程度知られていました。移転のタイミングで「天然生活」という雑誌がWEBで移転の連載をしてくれました。アンテナを張っている人だと、割と知ることができると思います。
今は、誰でもきて欲しいという風には考えていません。情報に触れた人が予約をしてくれればいいなと思っています。
予約制でやって採算はとれますか?
岩崎
売上的には、東京でやっている水準には回復しています。家賃がないので経費がその分少なくて済みますので、まあまあやっていけます。東京の店を閉店した後で、コロナ禍となったので、今振り返って見るとよいタイミングだったのだなあと思います。
商才があったからだと思いますよ。
岩崎
そうですかね。東日本大震災の時は大変でしたが、やめずに頑張ったことが良かったなと思います。
同じころ、香港にいる父が亡くなりました。自分の力ではどうにもならない状況の中で、少し年上の会社を経営している女性に巡り合いました。「もうだめです」と弱音を吐いたら、「それが人生っていうものなのよ」「それを乗り越えなきゃいけないのよ」と言われました。その言葉には助けられましたね。
壁にぶつかった時にそれを乗り越えることを考えること、それが人生なんだなと思いました。
近年、色々と大きな壁が出現しましたよね・・・
岩崎
これからも壁が出現した時にその状況の中で考えて、喜びを感じながら自分の仕事で楽しいことを周りの人に伝えていきたいと考えています。
今後のことですが、今の延長線上を考えていますか?
岩崎
そうですね。こういう感じで細く長く続けていけたらと思います。
本日はありがとうございました。素晴らしい富山の地でこれからも長く続けてください。
岩崎さんへのインタビューの感想
岩崎さんと話していて、聞き上手な方だなと思いました。相手を大事にする気持ちを強く感じました。そのことが相手との距離を締めて、人との繋がりができて新しい道を開拓することができるのでしょう。
多くの人からエネルギーをもらって、色々な壁を乗り越えてながら、ご自身で一生懸命に取り組んでいらっしゃることが良く分かりました。
自分の思うように生きることが、心の豊かさに繋がると思います。岩崎さんはそのように生きていらっしゃるし、それを見守っているご主人も素晴らしいと思いました。
こうほう支援室 池谷記