一般社団法人 東京農工大学同窓会

2025.3.11 かがやく同窓生

血管のモデルを作成して医療分野に提供する -農工大学で基礎を学び、東北大学で研究者として活躍-

交流ラウンジの取材を続けていて、他大学で活躍している同窓生がいないかなと思っていたところ、東北大学の流体科学研究所に太田信さん(物生H7)が教授としてお勤めになっているという情報が入りました。

早速ご連絡を差し上げて、インタビューを申し込んだところ、快諾して頂けました。梅雨の最中の2024年6月中旬に、仙台市青葉区にある先生の研究室にお邪魔してお話を伺うことが出来ました。
当日は梅雨の真最中にもかかわらず天候に恵まれて、広い構内にある流体科学研究所が太陽の光を浴びて輝いていました。

太田信さん

Ⅰ:東京農工大学での出会い

ご出身は?

太田

実家は千葉の柏です。

農工大を選んだ理由は?

太田

浪人して、入れるところを探しました。正直言って知らない大学でした。
「合格しました。」と高校の先生に報告したところ、「いいところを選んだね。」と言われました。その時は、なんでいいところなのだろうと思いました。
祖父が農工大の前身の高等農林学校でしたので、「同じだよ。」と言われて勇気つけられたりもしました。

出身学科は?

太田

物質生物工学科です。生命工の前身でもありますし、高分子の繊維工学科の流れを汲んでいます。

もともと興味があって物質生物工学科を選んだのですか?

太田

正直言って、まったく興味はありませんでした。化学系には興味がありましたが、一番やりたかったのは、物理でした。
機械系も選択肢にありましたが、化学系には少し生物っぽいところもあり、今後伸びるのではと思って受験しました。
初めは物理にも未練がありましたが、2年生の時に岡野光夫(てるお)先生(注1)の生体材料特別講義を聞いてすごく感動しました。特に、研究のストラテジ(注2)が面白いと思いました。その時、自分はこれをやろうと思いました。それで、生体系の研究室を選びました。

もともと農工大は高分子と言っても、分子を一枚一枚綺麗に積み上げることが得意な先生がいらっしゃいました。「積み上げる」という物理っぽいところがあって、すごく迷いましたが、最終的には、膜タンパク質の立体構造予測を行っている、美宅成樹先生の研究室に入りました。
その後私は、美宅先生の考え方に大きく影響を受けたと思います。

(注1)日本の再生医療工学のトップランナー。工学博士。細胞シートを使った再生医療の研究を専門分野としている。
(注2)「戦略」とか「全体的な計画」という意味

生体材料とはどのような研究分野ですか?

太田

要は、生体の中に埋め込む材料に関する研究分野です。
繊維系の学科でしたが、授業や実験が良くできていて丁寧に指導してくださって、それにこたえる形ですごく勉強しました。
今思うと、研究者としての基礎を作ってくれたのは、農工大だと思います。大学院から京都に行きましたが、基礎的なところはやらずに、即研究という形で取り組むことが出来ました。
データとの真面目な向き合い方とか、パラレルに色々な視点から物事を考える姿勢というものを、美宅先生から教えて頂きました。

直接はお会いしたことはありませんが、美宅先生はいい先生だと聞いています。

太田

初めにお会いした時に「人間は個体なのか液体なのか気体なのか?」と聞かれました。
まったく考えたことが無かったので、答えることが出来ませんでした。今でもはっきりと答えることは出来ませんが、「その時の状況によります。」というのが良かったのでしょうか・・・答えは言ってくれませんでした。
先生に色々な事象について自分の私見を述べる時、「それはいい視点だね。」と言われると舞い上がるほど嬉しかったことを思い出します。

卒業論文はどのようなテーマでしたか?

太田

「膜タンパク質の立体構造予測」というものでした。シミュレーションですね。
細胞膜は細胞の内と外とで物質のやり取りを行い、細胞内部の状態を維持する役割をしています。 膜タンパク質は細胞膜にはまっているような状態にあります。
膜タンパク質のアミノ酸の配列が周期ごとに油に馴染みやすいもの、水に馴染みやすいものになっている事を明らかにしました。このアミノ酸の配列からどんな形の膜タンパク質なのかを予想をしました。
その当時、膜タンパク質の形というのは、あまり形が決められていませんでした。X線で見ようとしても見ることが出来なくて、構造がきめられませんでした。構造が決まらないと機能が決まってきません。そこの構造を決めてあげようという研究です。
最近は、AIを利用したりしてかなりできるようになりました(注3)。当時は予測という形で機能と構造を探るという事をしていました。35年も前のことです。

(注3)AIでタンパク質の構造予測に成功した研究者3人が、2024年のノーベル化学賞を受賞しました。

美宅研究室で書いた卒業論文

科学の進歩ってすごいですよね。ゲノムの分析がすべてできるようになったりしていて、昔は考えられませんでしたよね・・・

太田

ヒトゲノム計画が始まった当初、美宅先生の所でも少しお手伝いをしていたと思います。その当時は良く分かりませんでしたが、今はその研究手法も分かるようになっています。

Ⅱ:京都大学に進学

京都に行こうと思ったきっかけは?

太田

自分はもともと京都大学に行きたかったので、大学院は京都大学を選びました。

京都大学の研究室は学部の延長線上にありましたか?

太田

農工大学の学部2年生の時に生体材料のすごさに感動しました。京都大学には生体医療研究センターというのがあったので、京都大学の工学研究科に進学しました。

先生との繋がりはあったのですか?

太田

まったくなくて、単純に受験しました。情報があまりなかったので、逆に色々と考えずに簡単に受けようと考えることが出来ました。
2年生の時に三大学(東京農工大学・京都工芸繊維大学・信州大学)の弓道部の対抗戦があって京都に行きました。その時、「やはり忘れられないな」と思ったこともきっかけの一つです。
美宅先生も賛成してくださいました。

京都大学でのテーマは?

太田

人工関節に使われる、超高分子ポリエチレンの耐摩耗性を調べようという研究をしました。

京都大学時代(向かって左側)

人工関節は問題なく使われているものなのですか?

太田

リュウマチで動けない人が、人工関節の手術をすると次の日に少し歩けるくらいの段階になっています。人工関節の耐摩耗性を高めると、長期間効果が持続するわけです。
十数年で摩耗してしまうと、次の人工関節を入れなくてはいけません。もうちょっと延ばせるようにしたいという研究です。
耐摩耗性を改良するためには、結晶の配向性(注4)をうまく利用して、硬い面を出して摩耗しにくくして改良していこうとしていました。

実際に摩耗が減っていました。海外企業との共同研究もうまくいって、生体材料研究という面では、かなりの成果が得られたと思います。

(注4)高分子固体を構成する微結晶が一定方向に配列すること。

医学と工学の境界は何処にあるんでしょうか?

太田

私たちがお相手をしているのは、医学と言っても医療従事者(臨床医)の人が多いです。臨床医の先生たちは、人工関節を使う側のユーザです。提供する我々は作り手です。

人工関節の不具合等のデータは臨床医の先生がお持ちで、不具合をなくしたいというニーズが医学側にあります。これに対して、改良版を作れるというシーズが我々工学にあるという関係があります。

逆に、我々工学の分野から医療分野に提案が出来たりすることも多々あります。現場で色々な問題に直面している臨床医の先生の意見を聞くことは、とても重要だと思います。

Ⅲ:海外へ

京都大学を卒業されてどうなさったのですか?

太田

卒業して半年くらいは、京都大学の研究員をしました。その後ジュネーブ大学に行くチャンスを頂きました。もともと半年間だったのですが、先方の先生が喜んでくださって、結局3年間ジュネーブ大学で研究をさせて頂きました。

ジュネーブ大学時代

京都大学での研究の延長線上だったのですか?

太田

いえ、まったく違う研究でした。血管の中からカテーテルで治療する血管内治療という研究でした。
ジュネーブ大学病院で、臨床医の先生が抱えている問題を解決するための研究をしているという感じでした。我々工学の人間からすれば、すぐ近くで問題を見ることが出来るので、問題点が把握しやすい環境で研究ができました。

戻ってきてから10年間くらいは、ジュネーブ大学で気付いた問題点を研究することで、新規性を維持することが出来ました。まったく見劣りしないような研究テーマを続けることが出来ました。
それが、きっかけになって血流とか血管内治療とかの研究をするようになりました。

南極で越冬したことがありますが、日本はデータを取るのに研究者が越冬します。ところが、欧米はデータを取るために越冬する人は研究者ではありません。分業体制になっていて、研究者は越冬しません。

太田

私もジュネーブ大学に行った時に、実験をした後のビーカー等を洗うのは自分の仕事と思っていました。洗う人がいるので、その人の仕事を奪ってはいけないと言われました。

その感覚は理解しましたが、例えばビーカーを洗っているときに、汚れが落ちにくかったりする状況が違ったりします。それは、実験中の何かが違っていたはずで、そういう事に気付けなくなってしまいます。

そのことを理解することが、日本の研究のベーシックになっているはずだと思います。日本では、分業してそれだけを考えるという研究スタイルはなじみにくいと考えています。日本という風土がそのように思わせるのでしょうか。

言葉にならない事を取得できるという特異性が、日本の社会システムでは重要だったり特徴だったりしていると思います。日本は総合という視点でものを考える風土があるように思います。それは、日本独特のものかもしれません。

海外に行って戻ってくると、海外と日本の考え方に触れることが出来ます。客観的に物事を見る事ができるようになると思います。若い時ほどその経験が後に生きてくると思います。

Ⅳ:東北大学流体科学研究所に着任

海外から戻ってくるきっかけは何でしたか?

太田

先方のスーパーバイザーの先生が3年たったら動いたほうが良いという事を言われていました。それで、3年たったら動くものだと考えていました。
アメリカやほかのヨーロッパの国という選択肢もありましたが、日本もたくさんのお金が動いていると感じていたので、日本で探し始めました。
たまたま、拾っていただいたのが東北大学だったわけです。

東北大学青葉地区

3年で動いたほうが良いという考え方は、3年でつかむものをつかめという事なのでしょうか?

太田

自分自身は、3年で動くという考え方はあまり好きではありません。もうちょっとじっくりやりたいタイプです。欧米では、3年たったら動くというのは普通の考え方です。その時は素直に受け止めました。
日本で採用されたことを、スーパーバイザーに伝えたところ、「お前動くのか」といって怒られましたけど・・・

東北大学流体科学研究所は公募でしたか?

太田

そうです。東北大学は全く知らない世界でした。

昔はタコつぼ型で、しかも縁故で採用されることが多かったように思いましたが・・・

太田

今でも流体科学研究所は、よく私を採用したなと思います。流体研は機械系で、私が歩んできたのは化学系だったので、全然違っていました。

流体科学研究所の組織構造は分かりませんが、大学院生もいらっしゃるのですよね。研究所という事で言うと、兼務しているという事ですか?

太田

本職は研究所勤務で、工学研究科と医工学研究科に協力講座として入っているという事になります。
教授会は工学・医工学のどちらにも所属しています。他の研究科の先生とお話ができることは、いいことだと思います。

流体科学研究所

流体科学研究所の先生方はどのような研究分野の方が多いですか?

太田

機械系の先生方が多いですが、分野としてはとても広いです。
生体をやっている研究室の先生も、私の他にいくつかあります。プラズマ、熱伝導、材料などの研究室の他、地震とか地学の分野の研究室もあります。

もともと流体科学研究所はどういう事を目的に作られたのでしょうか?

太田

流体研は第2次世界大戦の時に、キャビテーション(注5)の研究で始まりました。さらに、燃焼や燃料の流れに関することや空気抵抗を研究していたと思います。

(注5)液体の流れの中で圧力差により短時間に泡の発生と消滅が起きる物理現象。この現象は19世紀末に、高速船用のプロペラが、予想された性能を発揮しなかったことから発見された。

平和な世の中になっても、絶対零度でなければ物は動くので、様々な流体に関する研究のニーズはあります。エネルギーとかが強くて、今では脱炭素社会に向けて、アンモニア燃料に関する研究が盛んだったりします。所帯が小さいのですべてをカバーできてはいませんが・・・
生体の中にも血液の流れがあったりします。それで、医工関係も流体科学研究所の中で重要な分野になっています。

農工大学も色々な学科の研究室が集まって、生体医用システム工学科というのを作っています・・・

太田

東北大学も10年ほど前に医工学研究科が設立されました。医学系と工学系の先生方が集まったわけですが、初めは文化が違うのですり合わせが大変だったと聞いています。
今は、医学系の先生方と工学系の先生方の意見交換が普通にできるようになっています。上手く回るようになっていると思います。
巣立った卒業生たちも、多方面で活躍されていてそろそろ同窓会を立ち上げようかという雰囲気になってきています。

少し話がそれますが、選択と集中という考え方だけで日本の研究費を配分するのはいかがなものかと思います。旧帝大系は予算が付きやすかったりして、中小の大学の研究費はなかなか増額されません。

太田

流体研もかつては小さな研究所は統廃合しようという流れの中で、苦労した時期があるそうです。大学ランキングなども大きな大学ほどランクが有利という事になっていて、問題だと思います。
大きさだけで戦っていると、アメリカとか中国に負けてしまうと思います。大きさ以外のところで戦うというのはむずかしいことですが・・・

流体科学研究所が生き残れた最大の要因は何ですか?

太田

その当時海外との連携を積極的に進めたことがあげられると思います。海外との共同研究を一気に増やすことを打ち上げたそうです。いち早く海外進出をしたことが大きいと思います。

世界的にもニーズのある研究をしていたという事ですね?

太田

何をやるにも、流れのないところはありませんよね。

今、先生が研究していることはどのようなことですか?

太田

私が研究しているのは、脳動脈です。脳卒中とか脳動脈破裂とかが、血流によって引き起こされることはかなり分かっています。それらの異常な状態に血流がどれだけ関与していているのかを研究しています。
多くの場合は治療をするためには、目標達成のためにどの様な計画や方法を立案するかという事が重要だと考えています。
例えば、患者さんを練習台にしなくて済むように、血管のモデルを作って医師も練習ができるような環境作りをしたりすることもやっています。

血管モデル(BluePractice株式会社製)

血管のモデルの素材は何ですか?

太田

ポリビニルアルコールハイドロゲル(注6)を使っています。ハイドロゲルは高分子ですので、農工大の研究とも繋がっています。力学特性とか表面摩擦とかがかなり本物の血管に近いです。
メーカーがモデルを使った練習や作った血管を利用して、自社の医療機器を試すことは大事なことだと思っています。

(注6)ポリビニルアルコール:水と結びつきやすい水酸基(-OH)と,水と結びつきにくい酢酸基(-OCOCH3)を持つ合成樹脂。一般的には、世界に先駆けて日本で開発された合成繊維であるビニロンの原料として、また液体のりやスライムの原料として知られています。

ハイドロゲル:水に不溶な三次元構造をもつ高分子物質およびその物質が溶媒を吸収して体積が増加したもの。身近なものとして、こんにゃくやゼリー,寒天などがあげられる。

先生の研究室には学生さんも所属していますか?

太田

15~6名の学生が所属しています。毎週ゼミをやっていて、自分の研究の進捗状況を発表したりしています。

卒業生はどのようなところに進んでいますか?

太田
ドクター生が多いのでアシスタントプロフェッサーとかいう形で残ったりしています。あとは、医療機器メーカーに就職したりしています。仙台が好きになって、仙台で就職したりする人もいます。

Ⅴ:最後に

若い方に伝えたい言葉とかありますか?

太田

二つほどあります。
日本の社会には、博士に行く事は人生のメリットではないという考え方があります。私の経験では、かなりのメリットがあるので、博士課程に行くチャンスがあるのであれば、行ったほうが良いと考えます。これが一つ目です。

二つ目は、基礎を大事にという事です。自分の人生を大きく変えたのは、海外に行った時でした。海外で研究をすることが出来るくらいになったほうが良いと考えます。私は学部生だったころ、農工大ですごく多くの基礎を学ぶことが出来ました。

基礎を身につけることが出来たので、今があると思います。何か問題を見つけてそれの解決策を見つけて、その結果を見て考察を加えるというサイクルを愚直に繰り返して、知的考察を加える事が重要だと思います。
昔の様に「24時間働けますか?」というような環境ではなくなってきていますので、それは短期間に集中して行わなければなりません。

問題点を見つける力は海外にいく事でより身に着くと思いますが・・・

太田

例えば、自動化について言うと日本人の自動化と、海外での自動化は少し違います。エクセルで表を作ることが自動化と考える国があったりします。自動化という考え方が違うので、日本人の考えた自動化を輸出しようとしても受け入れられなかったりします。
若い時でないとコンセプトが違うという事を、体得できないと思います。頭が硬くなってからでは、考え方の違いを受け入れることが難しくなります。若いうちに海外で色々な違いを経験することは、その人の視野を広げると思います。

一方では日本人の物の考え方が優れていると思う事があります。例えば列を作って並ぶという事も、電車の運行を考えると効率的だったりします。

太田

そういった日本の教育の仕方を輸出できればいいと思いますね。

これからどのようにしていこうかということはありますか?

太田

今53歳ですが、小さなこととかレアなことに対して余裕をもって入れそうな気がします。余力をそこにつぎ込んで、拾っていけたらと思います。
大きなところのアプローチと、小さなところのアプローチがパラレルにできるようになれればと考えています。
「パラレルに色々な視点から物事を考える」という美宅先生の教えが、今に活きていますね。

インタビューを通して研究者としての取り組み方に大変感銘を受けました。本日はお忙しいところ、ありがとうございました。

太田先生へのインタビューの感想
太田先生はとても正直な方だなと思いました。農工大学受験時のお話も、フィルターを掛けることなく話して頂けました。
また自分の進路を決めていくときも、縁故に頼ることなく正々堂々とチャレンジしていることに感心させられました。
後輩の方々も先生の歩み方を、ぜひ参考にしてもらえたらなと思いました。いろいろな人生があると思いますが、愚直に目の前のことに取り組むという事も、一つの生き方です。
太田先生の今後の活躍を祈っています。
こうほう支援室池谷記