一般社団法人 東京農工大学同窓会

2026.2.25 かがやく同窓生

富山でテレビ局の仕事に取り組む -地元の生活を楽しむ-

2025年3月15日に富山県支部総会が富山市で開催されました。私(こうほう支援室の池谷)は、大学と同窓会の近況報告するため、本部派遣という形で参加してきました。
富山市は、世界で一番美しいと言われるスターバックスがあり、立山連山を一望出来て風光明媚なところでもあります。富山平野を中心に農業生産も盛んで、農村風景が大好きな私は、たびたび訪れているところです。
当日の出席者の中には、比較的若い卒業生も多く参加されていました。そのお一人の羽根大祐さん(生産H26)が、地元のテレビ局にお勤めになっていることが分かりました。
30代の若い方が、地元富山に戻ってマスコミ関係の仕事をしているという事に、大変興味が湧きました。
取材を申し込んだところ、快諾してくれましたので、日を改めて2025年7月13日に富山駅の近くの飲み屋さんでお話を聞くことが出来ました。

羽根大祐さん

Ⅰ : はじめに

取材を受けるのは初めてですか?

羽根

受けるのは初めてですね。

今おいくつですか?

羽根

今年、34歳になります。

ご出身は富山県の何処ですか?

羽根

富山市の農村地帯で生まれました。その後、父の転勤で小学3年生までの6年間を東京で過ごし、小学4年生から高校までは、高岡と富山の間の射水市で暮らしました。

子供の頃から東京農工大学(以下、農工大)って知っていましたか?

羽根

知らなかったです。高校に入ってから知りました。
東京に行きたかったというのがあって、東京の農学部がある大学を調べたところ、農工大を知ることが出来ました。農学部がある国立大学は東大と農工大がありましたが、東大はハードルが高かったので、農工大に焦点を合わせました。

いつ頃から農学部を目指すようになりましたか?

羽根

高校2年生の時から農学部を目指すようになりました。食べ物とかに興味がありましたので、食料生産に関する学部を目指しました。
もともと理系は強かったですね。科目としては、物理が好きでした。農工大は、推薦で受かりましたので、生物の勉強はしていませんでした。大学に入ってから、生物分野が分からず大変でした。

大学での研究室は何処でしたか?

羽根

生物生産学科の農業経営・生産組織学の研究室に所属しました。。千年先生が指導教員でした。
研究室で、チューリップ農家の経営についての卒論を書きました。

チューリップ農家の経営の研究というと、どのような視点からのアプローチですか?

羽根

富山県はチューリップ球根の生産が盛んなんですが、作っている農家の人達は儲かっているのかという事を調べました。
経営書類をもとに利益が出ているかどうかを調査しました。専業でやっているところは、それなりに利益が出ていましたが、小規模でやっている所はあまり儲かっていないとういう事が分かりました。最低賃金の確保も難しいような状況でした。

チューリップ畑(イメージ画像)

Ⅱ : 富山のテレビ局で報道の仕事に関わる

東京で就職するつもりは無かったのですか?

羽根

富山・石川・福井を含めて北陸に戻ろうと、1年生の時から思っていて東京に残る選択肢はありませんでした。
働くなら地元でかな…と漠然と思っていました。

農工大卒業生でマスコミ関係に就職なさった方は少ないと思いますが、はじめからマスコミ関係を目指していたのですか?

羽根

はじめは公務員を目指していましたが、実際の就活の時に民間にも目を向けて、マスコミ関係にも応募しました。

そもそも会社には何人くらいの方が勤めていらっしゃいますか?

羽根

90人くらいです。

会社に入られた時どのような部署に配属されましたか?

羽根

報道部に配属されました。入社以来10年間、報道記者をしていました。

お勤め先のテレビ局

取材対象は農業関係が多かったですか?

羽根

部署内で、農学部を卒業した人が他にいなかったこともあり、上司が農業関係の取材を多く任せてくれました。
在籍した10年間では、ほかにも、富山市政や富山県政、事件・事故も担当していました。

事件関係の報道というと、全国ネットの報道番組にも出たことはありますか?

羽根

そうですね。ニュースのリポートで全国ネットにも出たことはあります。

一つの番組を作り上げるということは、結構充実感が得られますよね?どのくらいの長さの番組を作ることが多いですか?

羽根

基本的には、日々県内で起きる出来事を取材して、1分前後のVTRのニュースにしていました。特集として5分~10分ほどのVTRを作ることもありました。
また、ドキュメンタリー番組などを作ることもありました。その場合、30分から1時間くらいの放送尺になります。
大変ですがやりがいもありますね。カメラマンやプロデューサー(上司)がいて、一つのチームで作り上げるという作業でした。

事前にかなり調べていく感じですか?

羽根

インタビューは一回勝負で、当然ですが、カメラが回っている時に聞いたものでないと、放送では使えません。聞き漏らしなどがないように、事前に色々と調べます。大学での研究とは少し違いますね。
一方で、調べたことで、固定観念が出来てしまわないように気をつけてもいます。

私は以前、新聞社の方から取材を受けたことがありますが、ある視点が決まっていて私が伝えようとしたことを正確に伝えてくれませんでした。言っていないことを書かれたりしました。

羽根

不特定多数の人に興味を持ってもらえることを記事にしますが、取材対象の人が伝えたいことと、自分たちが伝えたいことが違う事はよくありました。
事実でないことを表現したりはしませんが、取材対象の人の言いたいことだけを報道するのも違うと思います。
バランスの問題だと思います。

制作した企画や番組で、特に記憶に残っているものはありますか?

羽根

食糧管理法下の時代に闇米を作って東京で売り、自身を「告発しろ」と食糧庁に迫っていた農家を2019年に取材して、2020年に番組を作りました。
闇米を売っていた約30年前の当時のニュースを見ると、相当な変わり者としてとりあげられていたようでしたが、なぜそのような事をしたのか、改めて耳を傾けると、農業への信念、農政への強い思いが背景にあっての行動だったことが分かりました。食料自給率が4割を切る、農家の高齢化など課題が山積するいまだからこそ、その人の声や信念を、多くの人に届けられたことは価値があったと思っています。

Ⅲ : 営業部での仕事に関わる

今も報道制作部に勤務していますか?

羽根

昨年から、営業部に配属されました。

営業部ではどのような事をしていますか?

羽根

主にはCM枠を企業に販売するという仕事をしています。企業の課題やニーズにあったCMプランを考えて、提案します。提案先は自分で探したり、広告代理店から紹介してもらったり様々です。

結構きつそうですね・・・

羽根

楽ではないですね。
CMだけではなく、ネットやイベントなども連動させたプランを考えたりと、常に工夫が求められていると思います。

報道制作部に戻りたいと思う事はありますか?

羽根

令和の米騒動最中の今、報道記者をやりたかったなと思ったことはあります。
ただ、営業部の仕事もやりがいがありますし、子どもができたので、報道制作部よりも勤務時間にイレギュラーなことがないという点では助かっていますね。

お子さんはおいくつですか?

羽根

2歳になります。
第一子誕生を機に、家を持つことにしました。広い家に住みたかったので、古い家をリノベーションして住んでいます。
100坪くらいで庭もあります。その一角に家庭菜園も作っています。トマトとかメロンを作ったりして、そんなにうまくはできないですが、楽しいですね。

ご自宅は遠いのですか?

羽根

富山市中心部にある会社から車で30分くらいのところです。毎日車通勤です。

ご自宅の庭の画像(ミニトマトとメロンの収穫)

Ⅳ : 最後に

この世界に入って良かったと思っていますか?

羽根

良かったと思います。色々な人と接することで視野が広がりましたし、何より毎日新しいことの連続でエネルギッシュな日々を過ごせています。
農学部で学んだことが仕事で役に立つことも意外とあって、充実感もあります。
大学時代の恩師の千年先生の言葉を、社会人になって思い出すこともありますね。

千年先生の言葉で、特に印象に残っていることはありますか?

羽根

「スケールの大きい人は、小さな事に動じない。」というような事をおっしゃっていました。あと、「クールヘッド、ウォームハート」(経済学者 アルフレッド・マーシャルの言葉)とよくおっしゃってましたね。すごく印象に残っていますし、仕事での心がけにも通じると思います。

後輩の人達に伝えたいこととかってありますか?

羽根
偉そうなことを言うつもりはないですが、農工大は教授との距離も近く、研究も学生の思いを尊重した上で、手厚く伴走してくれる、懐の深い大学だと思います。
学生だからこそできるチャレンジもあると思いますので、物怖じせずに色々なことに挑戦して、充実した学生生活を送ってほしいと思います。

本日はお忙しい中ありがとうございました。

羽根さんへのインタビューの感想
羽根さんへのインタビューの中で感じたのは、地元富山での生活の中で「気負わない」という雰囲気でした。
就職するとき富山のテレビ局を選んだという事からも、地元愛を感じました。
実家の近くで居を構え、富山の素晴らしい自然の中で人生を歩んでいることを聞いて、いい人生を歩んでいるなと思いました。

こうほう支援室 池谷記