一般社団法人 東京農工大学同窓会

2026.4.3 かがやく同窓生

府中市の地域活性化に取り組む -出会いが人生を変えた府中大好き人間-

皆さんは、若手同窓生の会「農工大NEXT」(注1)をご存じでしょうか。
(注1)若手同窓生が活動している組織。交流ラウンジの記事も担当していて、各種イベントや懇親会などを行っている。

交流ラウンジでは今まで「農工大NEXT」のメンバーのインタビュー記事を掲載してきました。

上木さん「農工大生大図鑑」の活動-農工大学大好き人間のご紹介-
鈴木さん 地球1個分の暮らしを目指す-学外での活動で農工大の良さに気付く-
赤石さん 養蜂でアフリカの地域住民と野生のゾウの軋轢を減らすビジネス-科学的手法で、社会の仕組みを変える-

最近、「農工大NEXT」に新しいメンバーが加わったという情報がありました。村元義樹(よしき)さんです。
どのような方か気になったので、ご本人に取材を申し込みました。快諾して頂き、同窓会事務室でインタビューをすることになりました。今回はその様子を掲載いたします。


村元義樹さん

Ⅰ:はじめに

お住まいは何処ですかですか?

村元

生まれも育ちも府中で、現在も府中に住んでいます。

農工大卒業ということは、小学校から高校まですべて府中市内でしたか?

村元

住まいは、府中市の東の方で味の素スタジアムの近くです。調布との境目です。そのため、小学校は白糸台小学校で、中学校は府中第二中学校です。高校だけ荻窪にある日本大学第二高等学校に進学しました。

お住まいの辺りは桜が綺麗ですよね。府中の桜祭りをやる桜並木は、最近植え替えましたよね。

村元

そうですね。ソメイヨシノが寿命を迎えたので管理のしやすい桜に植え替えましたね。

私(こうほう支援室の池谷)は、大学に入学した時から考えると55年くらい府中のあたりを見てきました。その当時と比べると、府中も相当変わりましたね。府中の駅前は、小さな商店街でごちゃごちゃしていました。

村元

私の記憶は駅前の商業施設が高架になったころからです。まだ小さなお店がありましたが、小学生ぐらいの時に整備されて「くるる」などが出来ました。

府中は郊外だけれども整備されていて、新宿まですぐ出られるので、生活環境としては最高ですよね。

村元

府中で暮らしていて、とても暮らしやすいところだと思います。今も実家から職場に通っています。両親が長野に移住するので、来年の初めころに独立する予定です。

お住まいの近くの東京外国語大は広大な敷地の中にありますが、元々何があったのでしょうか?

村元

外語大は都内から移転してきましたが、元々は米軍の敷地だったように思います。調布飛行場や警察学校もあって、広々とした環境ですね。

自然がいっぱいあって、子供の頃は野原で蝶々を捕るみたいな感じでしたか?

村元

そんな感じでしたね。野川公園とか武蔵野森公園が近いですね。自然の中で育って、分かりやすい子供だったと思います。

自然に包まれて育つ

子供の頃から自然に触れていて、農工大を受けたのもそんな影響があったのでしょうか?

村元

そうですね、小さい時から生き物が好きでした。

中学校までは大地を楽しく駆け巡っていた感じですね。

村元

小さい時に、両親にキャンプとかによく連れて行ってもらって、釣りとかもよくやっていました。

私も若いころは渓流でヤマメ釣りをしていました。

村元

私も渓流釣りをしたことがあって、川の中に入って石の裏から川虫を採ったりしていました。

日大二高に行ったのには何か理由がありますか?

村元

中学生の頃に腸閉塞を患って、長期間学校に行けませんでした。退院後徐々に学力・体力を戻していたのですが、受験勉強までいけませんでした。
高校受験をどうしようという時に、両親から私立の推薦で行けるところにして、高校でゆっくりと体調を整えようという提案があって、日大二高に進学しました。

高校に入るといきなり数学が難しくなりますが、その状態で農工大に入ることが出来てすごいですね。

村元

病気のこともあって、元々医学部を志望していました。現役合格できませんでしたので、浪人しました。

Ⅱ:運命の出会い

医学部を志望していて、農工大に入学したのは何故ですか?

村元

浪人をしていた時、ル・シーニュという建物の5、6階に府中市市民活動センタープラッツという市民活動センターがあって、そこで勉強していました。
そこで、(株)まちづくり府中(注2)の関谷さんや今農工大NEXTを主宰している上木さんに出会いました。そこで、農工大って面白い大学だなと思うようになりました。

(注2)府中で唯一の都市再生推進法人。地域に関わる産官学民の多様な主体と連携して、地域の活性化に資する事業を通して、府中市の地域価値の向上につなげる活動をしている。

 

府中市市民活動センタープラッツ

市民活動センターに行ったのは何か理由はあったのですか?

村元

単に、受験勉強をしにいくためでした。ただの受験生だったわけです。

自習していたらその場所に上木さんが現れたという事ですね?農工大に入る前から上木君に出会った訳ですね。

村元

そうです。勉強カフェという大学生が勉強を教えてくれるイベントが開催されていました。そのイベントは、大学生と市民活動センターのタッチポイントを作るというのが目的でした。その授業でセンター職員(関谷さんも含む)の人と知り合って、上木さんを紹介されて繋がったという感じです。劇的な出会いでした。プラッツが無ければ、農工大を受験することはなかったと思います。おかげさまで入学することが出来ました。

私も上木さんの様にエネルギーを持った人はとても好きです。自分に取っての損得勘定だけで動いていないと思います。現役の学生さんも上木さんのことを知っていたりします。

村元

幅広く色々な人と繋がっています。その繋がりもとても濃いものになっていると思います。知り合った時は、上木さんはまだ大学院生でした。

関谷さんはどのような方ですか?

村元

浪人してた頃に、上木さんと知り合った同じタイミングで関谷さんとも知り合いました。その頃、浪人仲間で「ただ勉強するだけではなく、何か面白いことをまちで出来ないか」というお話があって、中高生向けの居場所づくりをする活動を、関谷さんと浪人仲間と一緒に始めました。

Co-study space “Posse”という名前で、多磨霊園の近くに作りました。クラウドファンディングで資金を調達して、色々な方にお声がけして、アパートの空き部屋の一室をリノベーションして作りました。
2020年の2月に完成しました。コロナの影響で、オープンしてすぐに一時的にクローズしなくてはいけなかったため、運営は難しかったです。

そのPosseでの活動内容はどのようなものですか?

村元

コロナ禍では、関谷さんが中心になって世界中の人と繋いで、「Posseアカデミー」というオンラインイベントを企画し、毎日違う講座を開いていました。
「パントマイムの授業」や「微分・積分はなぜ学ぶのか」などの多様な話題を中高生向けに発信していました。
農工大の学生に「昆虫食」の話題を提供してもらったり、パリと繋いでコロナでロックダウンしているパリの状況を報告してもらったりしました。
私自身も凄く視野が広がったと思いますし、中高生の方のためにもなったと思います。学びと関係性と居場所という3つの軸を持ちながら運営していました。

 

Co-study space “Posse”での活動

生産性という意味ではすぐに目に見えるものは無いかもしれないけれど、色々な種を撒くという作業は、意味のあることだと思います。

村元

浪人しましたけれど、あの時期が無ければ今の自分は無かったと思います。熱い心を持って挑戦すれば、壁も乗り越えられると思っています。コロナも収まってきたところで段々大学の授業も本格化して、両立させながら二つの軸で大学生活を送っていました。

上木さんたちとの出会いが人生を変えましたね。

村元

そうですね。

Ⅲ:大学生活

大学生活ではどのようなことを研究しましたか?

村元

農村地域計画学という分野で、中島先生の研究室です。例えば、水利を考えるときには地域の合意形成が必要になってきます。こういったことも研究対象です。
私はその中でも、水利ではなくコミュニティーを研究対象にしました。研究活動をする中で、地域と繋がることが多くなりました。
Posseなど幅広く市内で活動していたため、府中市の方と繋がることが多くなって、色々な方から「こんなイベントをやるよ。」とか「こんなことやるけど学生さん集まらないかな?」とかいった相談を受けることが多くなりました。
それを、私一人では受けきれなくなり、何とかしようと思って、「TUAT生のための情報紹介LINE」という公式LINEを農工大生向けに立ち上げました。

情報紹介LINEとはどのようなものですか?

村元

普通のオープンチャットとかラインではなく、法人向けLINEを使って始めました。登録している人は、800人ほどです。
現在は、駐車場公社(注3)や府中駅近辺のお店から頂いたアルバイトの情報を発信したりして配信料を頂いています。今は後輩に次から次に引き継いでいく形になっています。
(注3)府中駅前の駐車場の管理をしている公益社団法人

グループとして800人は多いですね。

村元

全てが現役の学生ではありませんが、かなり多いと思います。もともとは、農工大生と地域の人達とのタッチポイントを作るという目的で始めました。府中という素敵な地域の中で勉強しているという事に気付いて欲しいという気持ちです。
私自身がまちで活動していたことから、せっかくなら他の農工大生にも府中のことも見て欲しい、という思いが強かったです。大学1年の後半から2年生の頃に活動をしていました。学業とPosseの活動もあったので、キャパ一杯状態の時もありました。

上木君がやっていた「農工ラジオ」でも、地域から色々と情報を頂いたり、イベントのお誘いがあったりしたようですね。

村元

私も、実際にイベントに参加したり番組に出演したりしましたが、かなり盛り上がっていました。

中島研ってなんでも研究対象にしていいという雰囲気ですね・・・

村元

研究室としての軸を外れない範囲で自由に研究させてもらいました。

論文名は何でしたか?

村元

「中高生向けのサードプレイス(注4)の評価手法に関する研究」という論文名です。評価指標や手法を作って、実際に府中市と徳島県の方で運用して評価しました。論文投稿はしませんでしたが、学会発表はさせていただきました。

(注4)自宅や職場・学校とは異なる、居心地の良い「第3の場所」

 

学会での発表

指標というのはどういうイメージですか?

村元

中高生向けのサードプレイスを構成する要素48項目を、チェック項目としました。サードプレイスに関する論文を100本くらい読んで、項目を抽出しました。読まないと論文が書けないといった研究分野です。
サードプレイスの良し悪しを語るのではなく、こんな特徴があるという説明に使えるような評価指標を作りました。

評価した次の段階は?

村元

もともとサードプレイスは評価しにくいカテゴリーでした。それまで助成金をとりにいく時などに、このサードプレイスにはどんな効果があるかを説明しにくかったわけです。この評価指標があると、説明できるようになるわけです。
決して利用者数だけで語ってはいけないと思います。どのような特徴があるのかを見定める評価指標が必要です。
展望としては、助成金を獲得する時や企業がサードプレイスを作っていく時に、活用してもらえると良いなと思います。
その評価指標がそのような使い方をしてもらえるように、今でも活動をしています。

まちづくり府中の活動と研究活動を両立させながら卒業したわけですよね。

村元

そうですね。2024年3月に卒業しました。今年が社会人2年目になります。

Ⅳ:(株)まちづくり府中での活動

卒業と同時に(株)まちづくり府中に入社したのですか?

村元

そうではありません。1年は別の会社に勤めました。地域活動を対象にした会社です。地域のお店の情報をネットに載せる広告関係の事業と、ふるさと納税の受託事業をする会社でした。私のメインはふるさと納税でした。

今は、まちづくり府中に勤めているんですよね?

村元

その会社は船橋にあって、府中から通っていました。会社の活動は好きでしたし、農工大の卒業生の方も勤めていらっしゃいました。ただ勤務地が遠かったので、どうにか活動拠点を府中に戻したいと考えるようになりました。そのタイミングで、まちつくり府中で求人募集をしていることが分かりました。「これは府中に呼ばれた。」と思いました。連絡したところ、面接を経て採用していただきました。

生き方に迷いが無いですよね・・・

村元

そうですね、自分のやりたいことに次から次に巡り合えて、ご縁で今まで来ている感じです。

一生懸命やっていると、ご縁が向こうからやってくるのだと思います。人との繋がりってそういうものですよね。

村元

人と繋がっていると、別の出会いが生まれますよね。

まちづくり府中という会社は、どの様にして収益を上げているのですか?

村元

大きく分けて2つ事業があります。
一つは府中の賑わいに関係する事業です。府中市から「賑わい創出事業」の委託を受けていてけやき並木通りや国司館と家康御殿史跡広場(御殿地)などでイベントをやったりしています。
現在は、けやき並木通りや府中スカイナードが民間団体も使えるようになっています。
もう一つが、ふるさと納税の事業です。府中市のふるさと納税の発掘から管理運営までの企画を練っています。

 

イベントの様子

発掘というと、ふるさと納税をしてくれる人を見つけるという事ですか?

村元

どちらかというと、返礼品の事業者を見つける方ですね。例えば、府中の名産を新しく見つけたりする事です。面白いところでは、刑務所の見学会を返礼品にしたりしています。また、「刃牙(バキ)」という漫画の作者である板垣恵介先生が府中市に関わりがあり、その漫画の関係のTシャツを刑務所とコラボして作ったりしました。
「地域のお店の商品を返礼品にどうですか?」とか声掛けしたり、販路拡大の支援をしたりします。
返礼品になる事によって、市から認められているということになるので、ブランディングに繋がると思います。

会社は何人くらいでやっているのですか?

村元

12名くらいですね。全員フルタイムではありません。フルタイムは数人です。働き方は様々な会社です。

関谷さんは?

村元

マネージャーという立場で、他の仕事もしながら時短勤務です。
世界を旅していて、今(2025年10月)はブラジルにいます。世界の町とコーヒーを探す旅をしています。奥様がコーヒーショップを経営する予定で、コーヒーを探しながら、世界のまちというものを見つめ直そうとしています。

まちづくりに関して、今後どんな事をやっていきたいですか?

村元

府中が元気になってもらいたいと、常々思っています。「ILOVE府中」ですね。
顔が見える環境に皆さん居らっしゃいます。その方々にさらに元気になってもらいたいと感じています。その方が元気で幸せになると、私も幸せを感じます。
商業の活性化を通して、地域が元気になるためのお手伝いをしたいと考えています。私が皆様を元気にすると言うと、少しおこがましいですが、一緒にやっていけたらなと思います。

後輩たちに一言頂けますか?

村元

農工大を目指している人には、農工大はやれる範囲がとても広いという事を伝えたいです。
自分がやりたいことは、何でもできると思います。研究室や課外活動も含めて、自分のやりたいことは、なんでもできます。
その分迷いも多いと思います。自分のやりたいことが分からなくなる時期があるかと思います。今やっていることは本当に自分がやりたいことなのかと迷ったことがあります。でも、振り返ってみるとそういう時期は大事な時期だったんだなと思います。自分を見つめ直す時間になったと思います。そういった事も含めて、農工大生活を楽しんでもらえたらと思います。

自分で判断することの怖さみたいなことは私も感じたことがあります。最終的に判断するのは自分だし、戻ることは出来ませんよね。でも、判断して踏み出してほしいと思いますよね。

村元

仮に間違えたとしても、誰かが見ていて手を差し伸べてくれると思います。

そう思えるのは、今まで色々な人と真摯に向き合ってきたからだと思います。

村元

大学生活においても、中島先生からずいぶん助言を頂いたりしました。とてもいい環境にいたと思っています。

就活生に対するエールみたいなものはありますか?

村元

せっかく企業に入るんだったら、ゼロから100まで全部調べたほうが良いと思います。私は、ミッションとかビジョンとか理念という部分に注目していましたが、あまりサービスという視点を見ていませんでした。実際に何をやっているのかは注目していませんでした。
自分が入った場合、どういう仕事をするのか調べた方が良いと思います。一社目がゴールと考えてしまう必要はないと思います。

村元さんへのインタビューの感想
先ず、村元さんの府中に対する愛情を強く感じました。「自分が生まれた府中に住んでいる方々が元気になることに幸せを感じる。」という言葉に、感銘をうけました。
そして決して上から目線ではなく、顔が見える府中の商店の皆様と一緒にやっていきたいと思っているようで、その謙虚さにも感心しました。
また皆さんには、上木さんや関谷さんと出会って、二人のエネルギーを受け止めて、自分の進路を決めた潔さと、その後の迷いのなさを感じていただければと思いました。
こうほう支援室池谷記