一般社団法人 東京農工大学同窓会

2024.10.9 かがやく同窓生

静岡がんセンターで活躍する -松永研での経験を胸に-

今回、静岡県で比較的若い人へのインタビューをしようと同窓会名簿を検索したところ、静岡県立がんセンターにお勤めの方が目に入りました。

2009年に工学府博士課程後期卒業で生命工学を専攻された、畠山慶一さん(生命博H21)です。生命工学専攻で医学関連という事で、元学長(2011・4・1~2017・3・31)の松永是先生の門下生かなと思い連絡してみたところ、その通りでした。松永先生のお名前を出してインタビューを申し込んだところ、快諾して頂けました。

静岡県では静岡がんセンターとファルマバレーセンターが中心になって、がんなどの画期的な診断・治療機器等の研究開発を進めるために、「ファルマバレー構想」(詳細は後述)を推進してきました。

この事業は静岡がんセンターの山口先生と松永先生が中心になって、構想を練って仕組みを作りました。東京農工大学も関連企業等と協定を結びながら、この構想の推進に力を注いでいます。

畠山さんは、松永先生の勧めで静岡がんセンターに着任され、現在ゲノム解析研究部の部長として活躍されています。
今回は2024年5月下旬に、静岡がんセンターにお邪魔してインタビューさせて頂きました。(少し難しいお話が含まれているかもしれません。)

畠山慶一さん

Ⅰ:松永先生との出会い

ご出身は?

畠山さん

秋田県の八郎潟町です。私がいたときは8千人くらいの町でしたが、今は6千人くらいに減ってしまいました。

農工大学を目指して受験勉強をなさっていたのですか?

畠山さん

中学の時、家族には地元の秋田大学への進学を勧められましたが、秋田大学には自分の学びたい学科がありませんでした。
それで県外の大学の受験を希望しましたが、家族からは県外に行くのであれば、自分で稼いで学費を賄いなさいと言われました。
腹をくくって、中学卒業後は工業高等専門学校(秋田高専)で5年間学びました。

工業高等専門学校に入学される方は、中学卒業時に既に目標を絞っていると思います。

畠山さん

私もやりたいことが中学卒業時点で決まっていました。そういった意味では、普通に高校から大学に進学された方とは違うかもしれませんね。
バイオテクノロジー的なことをやりたかったのですが、ちょうど秋田高専に希望の学科が出来たので入学しました。

高専にいたときは何かテーマがありましたか?

畠山さん

高専の3年間はほぼ普通の高校と同じような授業を受けましたが、専門的に少し踏み込んだ形での実験もしました。
4年5年になるとより専門的になります。5年の時に研究室に入りますが、バイオ関係の研究室の倍率が高くて行くことができませんでした。一番怖い熱力学の先生のところに入ることになりました。
その研究室では、数字と結果が求められて、みっちりしごかれました。今思うと、それが良かったと思います。

高専時代は勉強と実験に明け暮れた感じです。正確には、遊びの方が多かったかもしれませんが・・・

高専の方が4年5年の時って、普通の大学生では1年2年の時で、その時に勉強と実験に明け暮れていたという事はすごいことだなと思います。
高専から編入された方の中には、一般教養を学ぶ時間がもったいないという人もいます。

畠山さん

高専の学生は確かに一般教養を学ぶ時間が大学に比べて少ないので、知識とすると少ないかもしれませんね。ですが、それは自分で努力すれば済む問題だと思います。

一般教養も含めて色々なことを学ぶことは無駄ではないと思いますので、何が正解かは難しい判断だと思います。

色々学ぶと、色々な事象の共通点を見出すことができるようになったりします。

畠山さん

形はどうあれ、そういう事は重要ですよね。

高専卒業後はすぐ農工大学に編入したのですか?

畠山さん

卒業後、山之内製薬(今のアステラス製薬)という会社に就職して2年間働きました。

製薬会社では研究を担当したのですか?

畠山さん

高専卒だったので、研究ではなく工場で原薬生産に携わりました。胃潰瘍治療薬の原薬を2年間作っていました。茨城県の高萩工場です。

製薬会社での経験を経て農工大に進学したのは、もう少し先をやってみたいと思ったからですか?

畠山さん

給料面でも仕事内容的にも不満はありませんでした。ただ、研究をやりたいという気持ちはくすぶっていましたし、大学進学も諦めていませんでした。

製薬会社にいる頃、会社の同期で博士号を持っている友人に相談すると、そんな奴は大学に行って博士号を取ったほうが良いと言われました。半年くらい悩みましたが、その友人から「博士号を取るならば30歳までに取ったほうが良い」というアドバイスを頂いて、逆算して今しかないと思うようになりました。

また、博士号を取るにあたって大学で選ぶのではなく、研究室で選んだほうが良いとも言われました。

研究室を選ぶ際に、①自分のやりたいことを研究している研究室、②年間の発表論文数が多いところ、という事を条件にして色々と調べました。その結果、東京農工大学の松永先生の研究室が見つかり、目指すことにしました。

松永研時代(最後列右から3番目グレーのTシャツ)

素晴らしいアドバイスですね。

畠山さん

今思うと、本当に良いアドバイスを頂いたと思います。

松永先生は論文数もさることながら、学長をやりながらいろいろなことをなさっていましたよね。人脈もすごいと思いました。

畠山さん

そうですね、大変エネルギッシュな先生です。本当に良い研究室を選んだと思います。

Ⅱ:松永研究室での経験

そもそもバイオ関係をやりたいと思うようになったのは、どうしてですか?

畠山さん

小さい時に大けがをして、入院して助からないかもと医師に言われことがありました。幸い助けて頂きましたが、その時「自分も人を助けたい」と思いました。
初めはわかりやすく「医者になりたい」と思いましたが、その後「もっといっぱい人を助けたい」と思うようになりました。それで、製薬という事に興味をもつようになりました。その時、バイオテクノロジーが話題になっていたので、「生物学の力で薬を作って、たくさんの人を助けることができると良いな。」と思うようになりました。

当時松永先生は何を研究されていましたか?

畠山さん

松永先生は、磁性細菌の研究、マリンバイオの研究等をやっていて、センサーの研究もやっていました。

松永先生はセンサーのどのようなことをなさっていたのですか?

畠山さん

様々なバイオセンサーを開発されていましたが、ちょうど血液から遺伝子を判別するバイオセンサーの開発が始まったところでした。

畠山さんは、論文でその辺りのところを書いたのですか。

畠山さん

基本の論文はその辺りを書きました。カシオ計算機と共同研究をして、カシオ計算機が開発したセンサー上にDNAを固定して、血液から遺伝子の型を1時間以内に診断するという研究をして論文を書きました。

薬ではなくなりましたがゲノムとかDNA(注1)を研究して「多くの人の役に立ちたい」と、気持ちのどこかに抱いていたと思います。
研究テーマを松永先生と決める時にもその思いは伝えていたと思います。

(注1)DNA・遺伝子・ゲノムとは DNA:A(アデニン)、T(チミン)、G(グアニン)、C(シトシン)の4種類の塩基で構成される物質
遺伝子:DNA上にあるたんぱく質に翻訳されうる配列情報
ゲノム:DNAの「すべて」の遺伝子情報。遺伝子の部分の情報と、遺伝子以外の部分の情報の両方が含まれる。

博士論文の題目は?

畠山さん

「薄膜トランジスタ(TFT)フォトセンサーを用いた個人診断用DNAマイクロアレイ解析デバイスの開発」という題目です。TFTフォトセンサーはカシオが開発したものです。どこでも使えて安価というのが特徴です。

センサー基盤上部に酸化チタンがコーティングされていて、そこにどうやって識別用DNAを固定するのかというところから研究が始まりました。

4年生の時にやっとセンサー上にDNAを固定することに目途が付いて、遺伝子をこのセンサーで識別することが出来そうかなという事になりました。

修士の時にモデルDNAを識別できるようになって、博士の時に本当に血液から遺伝子の1塩基の違いを識別できるようになりました。

センサーの基盤の上に自作のマイクロ流路(注2)を作って、反応効率を上げて短時間(1時間位)で遺伝子診断が出来るまでにしました。

(注2)医療や、半導体などの研究に使用される微細(髪の毛ほどの細さ0.01mm~0.1mm)な溝構造体。マイクロ流路のニーズは年々増加傾向にあり、新技術の開発や実験・検証が求められる分野において使われるようになっている。

センサー基盤上のマイクロ流路

松永先生から何かアドバイスはありましたか?

畠山さん

松永先生や直接指導してくださった田中先生には、「工学的には良いけれど、科学的じゃないね(注3)」と言われました。

(注3)「科学」は「真理を探求する学問」、「工学」は「科学・技術を応用して役に立つものを創造する学問」

開発した遺伝子診断は、原理的にはセンサー上に固定されたDNAに結合した遺伝子断片を発光で検出しています。

松永先生の指摘をクリアーするために、発光物質とセンサー基盤との距離を変動させた実験結果と、発光の理論的な減衰率の類似性から、センサー上の発光のみを効率的に捉えていることを明らかにして、論文を書き上げました。その結果、博士の学位を取ることが出来ました。

共同研究とすると技術の開発で成果として認められますが、博士論文とすると論理だてが求められるという事ですね。

畠山さん

言われた時は「これで終わりじゃないの?」と思いましたが、今思うとごもっともなご意見だと思います。
大変いい経験をさせてもらったと思います。

昨年豊橋技術科学大学にいる同窓生の方にインタビュー「家族を守りながら研究の道を歩む-2人の出産を乗り越えて-」させて頂きましたが、その方はマイクロ流路を作るというところをやっていました。

畠山さん

マイクロ流路では、とても狭い空間に液体が流れるので、センサーと標的物質の接触頻度が向上し、見かけ上の局所的な濃縮効果が得られるようになります。そのため、短時間で反応を進行させることができるようになります。

様々な解析装置にも今はマイクロ流体技術を応用しているものも多く、色々なところでコア技術になっていますね。

色々なところで取材していると、繋がっていて面白いですね。本学には松永先生の研究室出身の先生が多くいらっしゃいますね。

畠山さん

そうですね、竹山先生、新垣先生、吉野先生、田中先生には大変お世話になりました。
竹山先生は走磁性細菌のゲノム解析をなさっていた様に思いますが・・・

畠山さん

私が研究室に配属された時には、既にマリンバイオの研究をされていて、サンゴに共生するバクテリアの解析をされていました。
解析した後、有用な遺伝子と物質をスクリーニング(注3)するような研究をなさっていたと思います。
今は、早稲田大学に移って研究をなさっています。

(注3)大量のものを検査して、条件に合うものを選び出すこと。

田中先生にもインタビュー「微細藻類でバイオジェット燃料を作る」していますが、松永先生は細かい指導はしてくれなかったけれど、研究の方向性は示してくれていたと言っていました。

畠山さん

私も同感です。

私は学部時代に、ゼミではほかの人の論文をあたかも自分でやったように発表するという事をやりました。研究室の先生から厳しい質問が来た記憶があります。

畠山さん

雑誌会や抄読会と呼ばれているセミナーですよね。とても重要なことだと思います。まず、論文を読む力、ロジックを組み立てる力、構成、短い時間にまとめるというプレゼン能力など、ありとあらゆる力が養成されます。

その経験はその後の人生においても、生きていると思います。例えば、畠山さんから聞いた話をいかに伝えるかという事にも、生きてくると思います。ロジックの組み立て方の応用みたいな感じです。

畠山さん

そうですね、若い時に色々と経験することは必要だと思います。いきなり狭い世界に入ってしまわない方が良いですね。

松永先生はよく「他人の論文は信用するな」と言っていました。「半分嘘を書いていることは十二分にある」と言っていました。「ここは正しい。ここは間違っている。」と見定められる力を身につけるように指導されました。

自分の力で論文を書くようになってからそれをより感じるようになりました。嘘は書かないけれど、うまい表現で書くというようなことはあります。嘘は言っていないけれど、研究を進めるうえで重要な部分はあえて言っていないという事はあるかもしれません。社会人として重要なスキルかと思います。

他人の論文を読む雑誌会や抄読会を実施している研究室でないと、このようなことは学べないと思います。

松永先生の研究室での経験が、畠山さんをはじめ多くの卒業生の力になっているのを感じます。

Ⅲ:ファルマバレーと静岡がんセンター

ファルマバレーについてお聞きします。ファルマバレーの目指すところは何ですか?

畠山さん

ファルマバレーセンターと静岡がんセンターを中心に、国立遺伝学研究所や、大学などの教育機関、自治体、地域の企業と連携し、医療関連の研究開発や医薬品・医療機器の販売促進、雇用の創出などを目指しています。

ファルマバレーセンターと静岡がんセンターとの関係はどのような形ですか?

畠山さん

地域活性化を考えるのであれば、ファルマバレーセンターが中心で、静岡がんセンターがサポートするという事ですが、静岡県東部の医療を考えるのであれば、静岡がんセンターが中心で、ファルマバレーセンターがサポートするという形になっています。持ちつ持たれつという関係ですね。


ファルマバレーセンター

静岡がんセンター

ファルマバレーへの参加企業が増えたりして、どんどん広がっているように思いますが・・・

畠山さん

静岡県全体で取り組めるようになると良いと思いますが、なかなかその壁を取り外そうとする人材が少ないように思います。

地域の活性化も、共同でやることに意味があると思います。ファルマバレーもその理念のもとに設立されていますが、難しい側面があると思います。

他県から来た私が感じるに、静岡県の県民性は競争心や対抗心が少ないように見えます。ですので、地域で共同して手を取り合えばより良いものができると思うのですが・・・。

競争的なことは東京を中心にやってもらって、静岡というか地方では、古き良き日本的な、仲間と共同で手を取り合う形の生き残り戦略を模索したほうが良いと考えています。

そもそもファルマバレーをなぜ静岡でやることになったのかが重要だと思います。ファルマバレーと聞いて「静岡の!」という反応があるくらいになると良いと思いますが。

畠山さん

静岡がんセンターがこれだけ近くにあるわけですから、お互いにもっと協力しあっていくべきだと思います。

製薬会社が欲しい情報を、生で自由に扱えるというメリットがあります。やろうと思えばどの様にもできて、夢が広がると思います。

静岡がんセンターの知名度をさらに上げるために、私自身が面白い研究成果を出さなければいけないという野心は持っています。そうすれば、手を取り合って地域を活性化していける仲間が集まってくるのかなと期待しています。

三島は東京からも近いですよね。せっかくファルマバレーという試みを始めているので、交通の便のあるところで盛り上がると良いですよね・・・

畠山さん

運よく協和発酵キリンさんとか東レさんが静岡がんセンターと同じ長泉町内にあったりして、一部の企業さんとコラボできたりしています。大企業の製薬会社も検討してくださっています。

すそ野を広げるような投資が必要だと思います。すそ野が広いから富士山は高いのだと思います。

畠山さん

地方から成功モデルを作って、国家にまねしてもらうという形があると良いですね。ファルマバレーセンターもそのような観点で次の形を作っていけたらなと思います。

元々ファルマバレーは松永先生が推し進めたのですよね・・・

畠山さん

静岡がんセンターの初代総長の山口先生が中心になって、構想を練って仕組みを作っていますが、そこに松永先生も大きく深く関与していると伺っております。

構想を練ってこのような仕組みを構築出来て、松永先生はすごいですよね。

畠山さん

人を動かす力があると思います。トップはあのようにあるべきだと思いますね。

Ⅳ:静岡がんセンターでの活動

静岡がんセンターに就職した経緯をお話しいただけますか?

畠山さん

博士号を取得して卒業するギリギリまで何も就職先が決まっていませんでした。そのまま企業に就職するというよりも、研究の世界に進みたいと考えていました。松永先生は、農工大でポスドクという形のポストを用意してくださいました。

学位審査の後だったと思いますが、松永先生から「静岡がんセンターに行け」と言われました。面接が学位授与式の日だったのですが、先生からは「学位授与式に出なくていいから、面接を受けろ。」と言われました。

無事合格しましたが、着任までの間に一か月だけポスドクとして農工大に席を置きました。5月から、ここで働くようになりました。

静岡がんセンターでの活動についてのお話に移りたいと思いますが、エネルギーが無いとできないお仕事ですよね。

畠山さん

私は運が良かったと思いますね。良い恩師に出会うことができて、たまたま良い論文が書けて、その後も順調に事が運んでいます。

今の仕事は体力を必要としますが、松永研時代の博士課程の時と比べたら楽だなと思いながら仕事をしています。若い時に苦労していてよかったなと思います。

松永先生は、ファルマバレーの推進という意味で畠山さんを送り込んだのでしょうね。

畠山さん

それと、若手のポスドクをがんセンターに送り込むという協定が、農工大と東工大と早稲田大学とがんセンターで結ばれています。
そのプログラムで着任しましたが、成果を求められていましたので、若干のプレッシャーはありました。

畠山さんは、ゲノム解析をやっていらっしゃるのですか?

畠山さん

今私はゲノム解析を主にやっていますが、解析に関することは色々とやっています。

初めからゲノム解析をやっていたのですか?

畠山さん

そうではなく、初め遺伝子診療研究部に配属されました。
たんぱく質や遺伝子を標的として腫瘍マーカーやバイオマーカーを探索する部署です。主に、細胞内のたんぱく質の構造や機能を網羅的に解析するのですが、そこでは、細胞や組織における遺伝子発現のパターンを解析することも同時に行っていました。いわゆる統合解析の手法を用いた研究をしていました。
その当時、統合解析という手法が流行っていた時期でもあったので、それで論文を書きました。

統合というイメージはどのようなものですか?

畠山さん

私はRNAとたんぱく質の解析結果を融合させて、がん細胞が持つ異常なRNAがちゃんとタンパク質として合成されていることを確認しようとしました。少なくとも、その異常たんぱく質の構成要素であるペプチド断片(注4)の存在まで確認しました。

(注4)二つ以上のアミノ酸がペプチド結合を介してつながった構造のもの。

分析というと細かいところに入ってしまいますが、細かいところをまとめるというイメージですか?

畠山さん

そういう事ですね。今では次世代シーケンサー(注5)のような技術が進歩していて、一個一個の遺伝子ではなくてまとめてゲノムを包括的に見る事ができるようになりました。

(注5)数万から数億ものDNA分子を同時に配列決定可能な基盤技術

それぞれの方向性の解析手法を統合して、測定対象を見るというイメージです。
がんセンターでは、2014年に患者さんの手術検体を使って解析をして、それを患者さんに還元しようというHOPE(High-tech Omics-based Patient Evaluation)プロジェクトが始まりました。
未来のゲノム医療・個別化医療がどのようにあるべきかを検討するプロジェクトが立ち上がったわけです。

年間1,000例くらいの患者さんの検体を集めました。次世代シーケンサーの技術が発達してきたので、まずゲノム解析を中心にやっていきましょうという事になりました。今では、12,000症例くらい集めて解析しています。

全遺伝子を対象として手術検体を使ったのは、日本で最初のプロジェクトです。いろいろ解析結果をだしていく際に養われた技術が、今のゲノム解析研究部のコア技術になっています。
2021年にゲノム解析研究部が立ち上がって、急遽部長に抜擢されてしまいました。

今、ゲノム解析研究部の部長でいらっしゃいますが、おいくつですか

畠山さん

今年で45歳になります。現在の静岡がんセンターの部長職では最年少だと思います。医療界全体の流れもあって、運が良かったと思います。
今、月に一回の割合で病院の先生たちに集まってもらって、勉強会を開いています。データの読み方とかゲノムの扱い方を勉強してもらっています。

勉強会の様子

ゲノム医療が始まっているのに、病院の先生がデータの見方が分からないという訳にはいきませんよね。

この病院は勉強会が開けたりして環境とすると良いと思いますが・・・

畠山さん

良いと思います。縦割りではなくて、横のつながりが結構強いです。
若い人たちが繋がって、ざっくばらんに話をしながら、次の研究テーマを考えるというようなことも行われています。必ずしも医療に関する話である必要はありません。何気ない会話から新しい発見が生まれたりします。

臨床の医師(注6)は研究者ではないですよね。技術者というか出来上がった理論を現場で当てはめていく事が仕事だと思いますが・・・

(注6)患者と直接対話し、診断や治療を行う医師

畠山さん

最近のゲノム医療は、臨床現場の技術的な実務と研究が融合しています。病院の先生がデータを見て、判断することが求められてきています。

臨床だとこれはこれと決まっているのに、なんでゲノム医療は決まっていないのという先生もいます。「こういう解釈をして、こういう判断をしていいの?」というようなことが起きて来ていて、臨床の先生も困っている状況です。

そこの感覚がよくわからないところがありますが・・・

畠山さん

ゲノム医療が2021年から始まって、今がんゲノムパネル検査(注7)という検査ができるようになっています。

(注7)「次世代シーケンサー」で、1回の検査で多数の遺伝子を同時に調べ、合う薬があるかどうかを見極める検査

がんになった患者さんですべての治療に効果がなく、もう使う薬が無くて手術もできない患者さんにだけ使える検査です。

それを検査すると100~400程度の遺伝子を一気に調べることが出来て、その中の変異を見つけて、その変異に対する薬を使う治療や治験に参加ができます。

その変異が本当に病的な変異なのかどうか評価しなければいけませんが、評価するためには検査した結果を病院内で会議を開いて議論します。その結果、この変異は病的ですねと判断されたものだけに薬を使うことが出来ます。

これができる病院が、国内に14くらいありますが、議論ができる人材が不足している状態です。
議論するには、医者がいて専門の病理医がいて私のようなゲノム解析ができる研究者がいなければいけません。

議論の結果が正しいのかどうかというのが今の段階ではわからないという感じですか?

畠山さん

正しいだろうと会議全体で判断したものに対して、担当医が責任をもって患者さんに薬剤提供することになります。

Ⅴ:新たな展開

ゲノム解析研究部のスタッフは足りていますか?

畠山さん

新しい若い人材が欲しいところですが、今のご時世大学院生は大企業を志向している人が多くて、苦戦しています。なかなか、公務員やポスドクに目を向けてくれません。
もっと当部の研究を魅力的にしていかなければいけないのかなとも思います。


ゲノム解析研究部での研究の様子

地道にやっていくしかありませんが、共同研究が新たな展開を生むといいですね。

畠山さん

それを狙っています。日本らしく泥臭くまじめで実直な仕事をしていきたいなと考えています。
ライフサイエンス関係の研究分野はすべてとは言いませんが、世界的に見て少し遅れていると感じています。特にがんゲノムの分野はその傾向が強いように思います。

我々の研究は猫も杓子も次世代シーケンサーを使いますが、この装置や試薬はアメリカの会社が販売しているものなので、予算を使っても結局は日本ではお金が回らず、アメリカに流れてしまいます。日本で新しいシーケンサーを開発しているという話も今は聞きません。

日本ががんゲノムの分野で勝負するとなると、1つはサンプルの前処理なのかなと考えています。現状の次世代シーケンサーに用いるがん組織サンプルの前処理工程はあまり精密ではありません。そこで日本的な精密・丁寧さで勝負して行くという方向性です。綺麗なサンプルを用いれば、より良い結果や今までに見えてこなかった新たな知見が得られると考えていますし、実際にそのような結果が出始めています。
逆転はできないけれど、がんゲノムの特定分野で日本らしい存在感を示せればと考えています。

アメリカが一歩リードしている要因は何ですか?

畠山さん

一番は、企業だけではなくて国家が出すお金の額の違いだと思います。私たちの研究グループでもトータルで十数億円もらってはいますが、アメリカでは動いている予算がこれよりも一桁以上多いのではないでしょうか。我々は限られた予算と人材の中で、オリジナリティーを出していかなければなりません。

アメリカはスケールが違いますよね。学生の奨学金なんかも、日本円で30万円もらっていたりします。しかも渡し切りで・・・

畠山さん

そうですよね、日本でもやっていかなければならないと思います。若い人に投資していかないと発展はないように思います。
若い人のサポート、特に教育に対する投資は重要なことだと思います。

新たな展開について何か考えていますか?

畠山さん

次の世代へのつなぎを考える年になってきたとは思います。

引退してはいけないと思います。

畠山さん

まだ引退するつもりはさらさらありません。日本が好きですし、日本が発展して欲しいと思いますが、今日本は崖淵を歩いているように思います。戦争に巻き込まれる可能性もゼロではありませんし、10年後20年後に日本が国として存在して欲しいと本気で考えたりもします。
ですから私は研究という手段を用いて、何とか日本が良い方向に進むようにしていきたいと考えています。
自分一人の力では不可能なので、若い人と手を取り合っていければと思っています。

私自身、交流ラウンジへの掲載を担当していますが、それが最終形だとは思っていません。新しい繋がりができて、そこに若い人が参加してくれたら良いと思っています。一人ではできませんからね・・・

畠山さん

次の時代を作るのは若い人だと思います。自分自身は結婚して子供も二人おります。そうすると、独身時代より活動の範囲が狭まってきていると感じます。
そういった時に、今の自分がやれることは何かと考えると、次の世代の人が活躍できる土壌を作ることだと思っています。

若い人へのメッセージをいつも伺っているのですが・・・

畠山さん

上から目線な物言いになってしまいますが、私から見た今の若い人は“かわいそう”
だと思います。

世界的に見ても、何もかもがあまりにも情報過多になっていますし、今の日本では一度でもレールを踏み外すと戻って来にくくなっています。若い人は失敗しにくいし、してはいけないような空気感になってしまっているように思います。
その状況が私には”かわいそう”に見えてしまいます。

失敗を恐れる必要はないと考えます。集合知、例えばグーグルから得られるような知識は重要だけれども、所詮賢い人たちの知識の塊にすぎません。
それを使って何かをやるのであれば、既にできているか創造性が欠如しているものだと思います。だからこそ、自分しか思いつかないような事にチャレンジしてほしいと思います。

若い人たちには知識も技術も兼ね備えている人が溢れているのに、チャレンジしている人は私の時より少ないと感じています。もったいない状況にいるともっと気づいて欲しいです。

保身にはいるのではなくて、若いうちは無茶や無理をして欲しいと思います。若い人達に私から言えることは、失敗をしたら我々が後始末をするから、新しい事に挑戦してほしいという事です。これが私が考える“土壌づくり”です。

AIの活用に頼ると、新しい展開が生まれにくいと思いますが・・・

畠山さん

グーグルなどの検索エンジンが出てきたときも、同じような議論があったと思います。「自分で調べなくなる」とかいう議論ですね。でも今を見ると、決して研究者の知識量が減っているわけではありません。
どちらかという、全体的な知識量は上がっていると思います。

AIがあったからと言って、人間が愚かになるという事ではないと思います。使い方によっては愚かにもなりますが、全体的に見れば、AIを利用できる人がそれを駆使して次の知識のステップアップをすることは可能だと思います。新しい考え方が生まれる可能性は否定できないと考えます。
ですがAIに踊らされてはいけないとは思います。若い人に、AIのうまい使い方を考え出して欲しいと思います。

AIを否定するつもりはありませんが、AIが言っていることを見極められる眼力が必要だと思います。

畠山さん

AIはあくまでもツールだと思います。「論文の記述が本当か嘘か」と同じように物事を見極める術を学んでいって欲しいと思います。
だからこそ農工大の研究室で、しっかりと論文を読み解く力を身につけてほしいと思います。

交流ラウンジで取材をしていますが、私は直接会うことに拘っています。その方の語気とか目の動きというものを感じたいと思っています。皆様とのエネルギー交換ができないと、私は納得のいく原稿が書けません。

畠山さん

農工大学で授業もしています。ネットやパソコンを使わないで小グループで議論してもらうようなこともしています。
間違っていてもよいので色々な考え方を発表してもらって、ディスカッションします。私もその議論の中に入っていきます。学んだり研究したりするうえで、直接話し合う事は重要なことだと思います。

色々な人に直接会って、ネットでは得られない知見を広めて欲しいと思います。コミュニケーションはメールでないとできないというのではなくて、直接会ったり電話やオンラインミーティングで話したりという事も重要だと思います。

松永研(現在の田中先生、新垣先生、吉野先生の研究室も含めて)は年に一回100人くらい集まる忘年会があります。その中で、まったく違う分野の人も多く集まりますので、色々と面白い話を聞くことが出来ます。そこから新たなつながりを持つことも出来ます。

松永先生の退官記念パーティーの時に、500人近く集まった記憶があります。私も参加させていただきましたので、ご一緒していたかもしれませんね。
本日はお忙しい中インタビューにご協力いただきありがとうございました。

畠山さんへのインタビューの感想
畠山さんへのインタビューで一番感じたのは、「真面目に取り組んでいるな」という事でした。自分の活動だけに閉じこもることなく、院内で勉強会を開いたり農工大学で授業を開講したりして、多くの人と交流して目的に向かって進んでいることに共感を覚えました。

また学生時代に松永研で学んだ経験を実社会で生かしていることに感動しました。松永先生という良い師匠を持ち、また松永先生は良い弟子を持っているなと感じました。

静岡がんセンターは、富士山麓に位置していて、素晴らしい環境の中にあります。また、少し足を伸ばせば伊豆半島の自然に触れることもできます。畠山さんも休日には伊豆半島で過ごすこともあるようです。

新幹線を使えば、東京にも1時間ほどで行くことが出来ます。研究する環境としてはとても良い環境で、うらやましく思いました。農工大学の学生さん達が、ファルマバレー構想に参加してくれると良いなと思いました。
畠山さんの今後の健闘と、ファルマバレーの新たな展開を祈念しています。
こうほう支援室池谷記