一般社団法人 東京農工大学同窓会

2024.7.24 活躍する教職員

剣道の最高段位8段を取得した百鬼(なきり)先生に聞く -剣道を通じた人間教育-

百鬼史訓(なきりふみのり)名誉教授(東京農工大学元理事・元副学長)が、2023年8月13日に、剣道の最高段位である八段位を取得しました。

合格率1%を切る剣道八段は、「剣道の奥義に通暁、成熟し、技倆円熟なる者」に与えられ、段位の受審には、七段の取得後10年以上の修業が必要です。

百鬼名誉教授は、本学の体育・スポーツ健康科学の教授を長く勤められ、専門分野の剣道を中心とした研究活動や教育活動、さらに剣道部の指導と本学の理事・副学長として管理運営活動にご尽力されました。

百鬼史訓名誉教授

 

Ⅰ : 剣道との出会いから農工大で教鞭をとるまで

ご出身は何処ですか?

百鬼

静岡県の磐田郡福田町という所です。

剣道との出会いはどのようなことでしたか?

百鬼

中学1年時、放課後校舎の中を歩いていたら、「エイ、ヤー」という声が聞こえてきて、その声に誘われて剣道部の稽古を覗きに行ったのが最初です。
その時はそのまま帰りましたが、翌日の登校時に剣道部のキャプテンが正門で待っていて「剣道部に入れよ」と半ば強引に誘われて、やってみようかと思って入部しました。頑張って中学時代に郡大会で優勝したりしました。

高校も磐田でしたか?

百鬼

浜松商業高校に行きました。剣道をやるために剣道の強豪校に進学しました。
高校時代には、西部地区で優勝するなど結構活躍していたと思います。

出身大学は筑波大学の前身の東京教育大学ですよね?

百鬼

高校を卒業する時、中学で剣道を指導してくれた先生が自宅まで来て「剣道の指導者にならないか」と勧めてくださいました。貧しかったにもかかわらず、その場にいた両親も理解を示してくれましたので、大学に行って剣道の指導者になろうと決意しました。

先生は、「指導者になるのだったら、伝統のある東京教育大学(現筑波大学)が良い。」と薦めて下さいました。単純に国立大学だから両親の負担も少ないのではと思っていました。大学受験を安易に考えていた私は、それまで全く受験勉強をしていなかったことから、浪人生活を余儀なくされ入学までには時間がかかりました。

運よく、昭和42年に入学することができました。剣道から遠ざかっていたこともあり、新設の武道学科でガンガンやるという選択肢ではなく、剣道の理論を研究する運動生理学という道を選びました。

剣道部に入部しましたので、実質的には、武道学科の仲間と同様に武道学科一期生ということで、実技の基本から随分鍛えられました。年長であったこともあって、剣道部では主将を務めました。

東京教育大学は剣道では強豪校だったのですか?

百鬼

私の1年生の時は、全日本学生優勝大会で優勝、2・3年次には3位となり、私が4年生の時には大将として出場して準優勝しましたから、強豪校と言えるかと思います。

東京高等師範学校からの流れを汲んで、剣道の専門大学としての社会的な評価は高かったと思います。

学部卒業後にどのような道を選んだのですか?

百鬼

学部卒業後、田舎に帰って高校教員となろうと教員試験も受かっていましたが、家庭の事情もあって急遽東京に残ることになり、以前から大学院に行きたいと考えていたこともあって、進学の道を選択することにしました。

大学院卒業後すぐ、東京農工大学に赴任なさったのですか?

百鬼

東京教育大学が新たに筑波大学に移行する際、剣道の主任教授から助手になってくれないかというお誘いがあり、二つ返事でお受けしました。

ところが新構想の大学だったことから、助手制度が廃止され文部技官(準研究員)という身分でした。

5年任期ということもあり新しい道を探していた時に、東京農工大学の伊藤金得先生(体育の教授)から人事のお話が有り、幸いにも昭和54年に一般教育部(工学部)講師として採用して頂きました。

本学ではどのような活動をなさいましたか?

百鬼

伊藤先生には、着任後も研究・教育上のご指導を頂き、温かく見守って頂き感謝に堪えません。

大学では一般教育保健体育教官として教育に勤しむと同時に研究(身体運動学、スポーツ工学)を行い、さらに工学部専門教育や管理運営(理事・副学長)にも携わりました。これらの活動の合間に剣道の部活動に参加しました。

また土・日には自分自身の剣道の稽古だけでなく学生剣道連盟やOB会組織の会長として活動し、さらに日本武道学会理事長・会長としても武道の学術的発展に力を注ぎました。

本学で勤務しながら博士号を取られたようですが・・・

百鬼

私は、剣道の動作解析を中心にバイオメカニクス的研究を行っておりましたが、体育学には修士課程しかありませんでしたので、いずれ取得したいと思っておりました。

また東京農工大学教員として博士号取得は最低限の必要条件ですから、伊藤先生からは神経解剖学について、そして大槻先生のご指導の下で東京医科歯科大学歯学部口腔解剖学研究室の内地研究員として硬組織(骨と歯)に関する組織学的研究の基礎を5年間学びました。

その間、私は「運動することが骨の発育にどのような影響があるのか」という研究をしていました。動物実験で坐骨神経を切って全く神経が働いていない状態で、骨の発育にどのように影響を及ぼすのか?という研究です。この骨の退行性委縮に関する研究は、「Scientific American (日本版)に「身体を動かさないと骨はもろくなるのだろうか」と題して大槻先生と共著で投稿し掲載されました。

体育の授業をしながら内地研究員として通ったのですか?

百鬼

1年間は授業を含めて業務は免除して頂いたのですが、その時以外は、農工大学での本務が無い時あるいは勤務が終わったら、毎日のようにお茶の水に通っていました。ところが、医歯大のルールが変わって、内地研究員には博士号を取る資格がないという事になってしまいました。その時は、大変落ち込みました。

最終的に博士号は何処で取られたのですか?

百鬼

医歯大で非常勤講師をされていた、鶴見大学歯学部口腔解剖学研究室の川崎教授が事情を知って、面倒を見てくれることになりました。新たな研究課題を頂き5年ほど通って研究をしました。

一般教育部が解体され、工学部情報コミュニケーション工学科に配置換えになった頃でした。また、コンピューターによる3次元画像解析手法の開発が始まった時期でもありました。

当時、骨や歯の発育に関する研究では2次元的な定量解析しかなかったことから、新たにコンピューターを活用した3次元画像・定量解析による研究をしようと思い立ちました。3次元画像解析のノウハウを川崎教授の紹介でロンドン大学に行って学んだこともありました。

これらの内容を論文として纏め上げて、博士号(歯学)を取得することができました。

3次元画像解析

 

体育という授業を持ちながら研究を続けるというのは結構しんどいように思いますが・・・

百鬼

当時農工大学には一般教育部があって、保健体育教官として保健体育実技や理論を教えていたのですが、保健体育教官の伝統として、学位を取得し、レベルの高い研究を行うことが求められておりました。

先生方の共通理解やサポートがあったからできたと思います。私自身もそのような環境に恵まれ、充実した生活を送ることができました。

新しいことを学ぶことや研究すること、そのものに興味・関心があったからだと思います。もちろん、剣道を指導する時間は少なくなってしまい、学生には申し訳なく思っております。

とはいっても、熱心に学生を指導していたと思います。学生に対してはどのようなことを伝えたいと思っていましたか?

百鬼

剣道は単なる打ち合いのスポーツではなく、「剣道は剣の理法の修錬による人間形成の道である」ということを理解させ、今という瞬間瞬間を一所懸命に生きるということ、剣道の教えを通して人間教育をしていきたいと思っていました。

また、私自身は保健体育以外の医・歯学の分野の先生方と接することで、様々な話を聞くことができ、視野が広がり、何事にも代えられない人間関係を築くことができました。

ですから、多くの人と接して視野を広げることの重要性を農工大の学生に伝えたいと考えていました。

Ⅱ : 剣道部とのかかわり

農工大学に来たときから、剣道部にかかわっているのですか?

百鬼

当時は、私の先輩にあたりますが東京高等師範学校で専門的に剣道を学んできた伊藤金得先生が剣道部部長として指導されておりました。こうとく会の名称でOB会があり、松岡、島村先輩等が学生達の面倒をよく見てくださっていました。

暫くしてから部長を任されて、退官するまで農工大学の学生を指導していくことになりました。現在は、剣道の指導者がいないことから、学生から乞われて週に一、二度ですが稽古に来ております。

剣道部の部長をされていて、剣道部の学生に望んだことは?

百鬼

農工大の学生は真面目で素直な学生が多いのですが、もう少し自信を持って自己主張し、人間的にも強く図太くなって「文武両道」を目指して欲しいと思います。

百鬼先生の指導理念

本学は剣道の専門家を育てることを目的にしていません。剣道を通して自己研鑽し、大きく強く成長して、農学・工学それぞれの分野でリーダーシップを発揮できる人物となって欲しいと考えます。

そして、生涯にわたって剣道を楽しむことができるよう、基本を大切にしながら指導に携わってきました。

先生方の中には、クラブ活動に対する理解が少ない方もいらっしゃいます。剣道部の活動は他のスポーツと同じようにPLAY(遊び)の部分はありますが、それだけではありません。武道としての特性があるからです。

PLAY(遊び)をする中で視野が広がることがあると思いますが・・・

百鬼

私が趣味で学生と一緒に楽しく剣道していると思われています。確かにその部分もありますが、決してそれだけではありません。

「たかが剣道、しかれども剣道」と言います。単なる棒振りに終わらせるのではなく剣道を正しく精進することにより、自分自身が本来持っている能力を引き出し、主体的に新しい自分を創造していくことが大切です。

生身の人間が竹刀で打ち合う訳です。相手のことも考えなくてはいけません。相手を尊重し、礼を失してはいけません。人として成長していく必要があります。単に楽しければ良いというものではありません。

学生に言わせると、百鬼先生の身体に触れるのが難しいと言いますけれど・・・

百鬼

随分と誇張した言い方ですね!お互いに竹刀を用いて攻防するわけですから触れないということはありませんね。もちろん、そんな簡単に打たれることはありませんから、そのように言うのかもしれませんね。

実際は打ち合わないと稽古にならないので、引き立て稽古と言って、学生が理合に適った合理的な打突ができるように打たせながら指導します。
ある時は打たせながら、打つ感触を体感してもらう事で、技を習得させるわけです。どうやって上位者に対峙して技を出すのかを考えさせて、一生懸命稽古することが、実力を高めることに繋がると思います。

剣道の修行上の段階を示す教えとして、「守破離(しゅはり)」という言葉があります。「守」は指導者の教えを学び、それを確実に身につける段階、「破」は学んだことに工夫を凝らし、技術を高めていく段階、そして「離」は、「守」や「破」で学んだことを超越して、技術をさらに高め独自の新しいものを確立していく段階があります。

学生時代には、学ばなければならないことを、しっかり学んで将来につなげて頂きたいと思います。

剣道そのものについて、百鬼先生のお考えを少しお聞かせください。

百鬼

剣道そのものが教育だと思っています。修練・自己研鑽の場、人間形成の道だという事です。
平安時代後期には、金属(青銅・鉄)によって作られた「剣(つるぎ)」は権威化・神格化されて行く一方で、戦場で使うために実戦的・実用的な「刀」が作られるようになります。

日本独自の「たたら製鉄」(注1)によって砂鉄から「玉鋼(たまはがね)」(注2)を、何度も繰り返して不純物を叩き出して鍛錬し、鎬造り(しのぎつくり)の彎刀(わんとう)いわゆる「日本刀」が発明されます。

(注1)日本において古代から近世にかけて発展した製鉄法で、炉に空気を送り込むのに使われる鞴(ふいご)が「たたら」と呼ばれていたために付けられた名称。砂鉄や鉄鉱石を粘土製の炉で木炭を用いて比較的低温で還元し、純度の高い鉄を生産できることを特徴とする

(注2)日本刀の原材料。玉鋼から生まれる日本刀は、鉄を使った人類最高峰の芸術品として、海外でも高い評価を獲得している。最先端のテクノロジーでも製造困難とされる奇跡の鉄と言われている。強さとしなやかさを合わせ持ち、しかもさびにくい。最先端のテクノロジーでも製造困難とされる奇跡の鉄。

武器としてこの「刀」が発明されたにもかかわらず、今日まで「剣術」や「剣道」と呼ばれるのには意味があります。

剣は両側に刃があり、刀は片側だけに刃があります。剣は片方の刃は相手に向いていますが、片方の刃は己自信に向いています。相手を切るだけでなく自分の邪念を切ることにより、自分自身を磨くという意味があるのです。

単に、相手を叩いて俺は強いと満足するだけではいけません。剣を交えることで相手が自分の至らなさを教えてくれるわけで、対人的な攻防の中からお互いに学び合うことができるのです。相手を尊重し、礼を尽くしながら新しい自分を創造していくことが肝要です。

剣道は自分自身を鍛えるものであり、そこに教育的価値があると思います。他のスポーツにはないような教育特性ですね。

精神というようなものでしょうか?

百鬼

平たく言うとそういう事ですが、内面的な心の問題だと思います。剣道は、心・技・体を一致させた打突を目指すことが最終目標になります。
気を充実させながら、相手を打つ。その時に心の状態が曖昧だと相手に悟られてしまいます。心のやりとりをしているのです。

同じ「面」を打っても、心の状態によって違ってくるというのは理解できる様に思います。

百鬼

今は週に一回、池袋の講談社野間道場で高段者・高齢者に交じって朝稽古をしていますが、高段者の方は相手の気を見てから動くのではなくて、気が起ころうとする時に打っています。こちらが動こうとする瞬間に打ってきます。
心を冷静にして相手の動きが自分の心に映るような感じですね。“明鏡止水”の境地ということなのでしょうね!私にはなかなか難しいことですが・・・・。

技を磨くことも重要だけど、技を繰り出すときの心の状態が重要だという事ですね。

百鬼

剣道は対人的なので、より個人的なつながりが深いわけです。お互いに打ち合いながら、心のやり取りをしています。驚・懼(く)・疑・惑は四戒と言って、心に生じる好ましくない精神状態のことで、これをいかに制御するかが重要とされています。
また、一度お手合わせをすると心がつながり、お互いに親しくなって、仲間意識が醸成されます。剣道の世界では「交剣知愛」と言います。
基本的には、学生の個性を尊重して指導しなければなりませんが、剣道の基本的動作については科学的原理に基づいて指導しております。学習の過程で、前回指摘したことを学生がどのように考えてきたかを見ています。学生が指摘どおりにやっているかどうか、主体的に稽古に望んでいるのかを見極めて指導します。
学生と稽古すると剣道を学ぶ姿勢や心の状態が分かります。それを理解した上で指導する必要があります。

学生を指導する百鬼先生

心技体が整った学生を世の中に送り出すことは重要だと考えますが・・・

百鬼

剣道を真剣に学ぶことで、人間として成長する事が出来ると思います。剣道を通じて人間教育をしていきたいというのが私の本音です。
人間としてのしっかりとした基盤を造りながら、勉学に勤しんでほしいと思います。
人間力を高めるために、課外活動や体育をもっと活用したほうが良いと考えています。学生は可愛い存在です。学生が指導してほしいと言ってきたら、忙しくても大学に来て稽古に時間を割きたいと思っています。

大学には、課外活動を単に趣味的かつ個人的な活動としか見ないかたもいらっしゃいますが・・・

百鬼

部活動は教育活動ではないと考えている先生もおりますが、部活動は、学生に対して全人格的な影響を与えることができるものだと思います。知識だけではなくて、人間としての本体の在り方を教えるのも教育の一環だと考えています。
また人間としての繋がりも重要と考えます。同じ釜の飯を食べた仲間は生涯の友となります。

農工大学卒業生の農工大に対する帰属・同窓意識が少し低いように思います。先生と学生との関係が研究という面でしか構築されていないからではないかと心配しています。同窓意識の醸成という面では、部活動のOB・OG会の役割は大きいと思います。現在、OB・OG会同士の、横の繋がりというものが無いのが残念に思います。

同窓会に同好会というのがあって、横のつながりという動きは少し出てきています。

百鬼

それは良いことですね!多いに、やったほうが良いと思います。
例えば大学に対する寄附等の支援にしても、心情的なことが影響します。農工大愛・同窓意識がさらに高まれば、「大学のためにひと肌脱ごう」という気持ちも生まれると思います。横のつながりだけでなく縦にもつながることで、心情的な繋がりが醸成され大学の発展にも繋がるものと思います。

Ⅲ : 剣道界での活躍

剣道界で色々と活動なさったと聞きますが・・・

百鬼

主に土・日の活動でしたが、東京を中心とした各大学のOB組織の運営に会長として尽力しました。東京学連剣友連合会と言います。

戦後、この組織の大先輩方は剣道界の統括団体である全日本剣道連盟の結成に中心的に関与され貢献されています。

私は、全日本剣道連盟において、昭和60年ころから医・科学委員として剣道用具の(剣道具や竹刀)安全規格の作成など安全対策研究等を行うことや、その他の専門委員を歴任し、そして常任理事として普及関連(中学校武道必修化支援事業)の事業に関与して参りました。

平成18年教育基本法が改正され、平成24年から、中学校の保健体育の授業で武道が必修化され、全ての中学生が武道を学ぶ事ができるようになりました。

ところが大きな問題として指導する教員が圧倒的に不足するという事態になり、これに対応するため、文部科学省・スポーツ庁が教員の資質の向上や民間の剣道指導者を授業協力者として支援させるシステムを構築するなどの支援事業を開始しました。

全日本剣道連盟として平成25年からこの支援事業に参画することとなり、私は10年間に亘り委員長として、この事業を推進することに従事しておりました。この事業は現在も継続中で、私も参与として協力しております。
これらの活動のお陰で、「農工大学の百鬼」として剣道界でも認知されるようになったと思います。

全国剣道指導者研修会での挨拶

剣道界のことを良く知らないので、剣道界の変遷について少しお話しいただけますか?

百鬼

簡単に剣道の歴史についてお話をします。
先ほども述べましたが、平安時代後期には、実戦的な武器としての「刀」が作られるようになったわけですが、荘園制度とともに自衛のための専門集団(武士)が生まれ、次第に組織化され源氏とか平氏という武士団が結成されて行きます。

それ以降、武家社会が確立されていきますが、室町時代には剣術の流祖が生まれ専門的に技術を磨く流派が出てきます。

安土桃山時代を経て、江戸時代に入って徳川将軍の治世のもとに、世の中は平和になりましたが、いざという時の戦いに備えるために剣術として武士に継承されました。また、戦国時代の武術性に加えて、精神性を高めることや芸道性も付加されてきます。

剣術の稽古には、刀を使って稽古できませんので、木刀を使って形稽古(組太刀)をする様になります。しかし、形の修錬だけですと次第に形骸化が進み、より実践的に打ち合うことの必要性が生じました。

江戸中期になると、安全を考えて竹刀や防具が考案されて、お互いに打ち合うことの面白さから、多くの剣士だけでなく、町民や農民までも剣術を習うようになります。ある意味で、競技性が加味されてきたとも言えます。

明治時代になると、廃刀令の公布(明治9年)により武士社会は消滅します。しかし、西南の役(明治10年)での抜刀隊の活躍が評価され警察剣術が奨励されます。

学生発布後(明治5年)、いくつかの大学や専門学校が設立されると撃剣部として活動が始まります。心身鍛錬の効果が認められることから明治中期以降には学校教育に取り入れようとする運動が盛り上がり、明治末期には中学校の正課に加わりました。

大正時代(大正8年)になると武術(剣術)から武道(剣道)と改称されるようになり、武術専門学校や東京高等師範学校などで、剣道の指導者を育成する様になっていったわけです。

大正15年には体操教授要目として体操教材に剣道が取り入れられました。

第二次大戦後、GHQにより剣道を含む武道が禁止されましたが、1952年のサンフランシスコ平和条約の締結により、剣道が再開され、その核になったのが、学生、大学OB、警察組織そして各地域の剣道愛好家になるわけです。

戦後の剣道界が始動するわけですね・・・

百鬼

各地域で剣道愛好者が剣道をするようになり、大学の関係者がそれぞれの大学でやり始めるようになります。その後、気心が知れ会った各大学のOBや、全国各地域でも稽古会が開催され、次第に組織化されて、全日本剣道連盟という組織が結成されました(昭和27年)。

そのコアになったのが各大学OBの先輩方でした。最初は撓競技として国体に参加しましたが、昭和31年には剣道競技として行われるようになりました。
私は、連盟立ち上げに貢献した先生・先輩方を輩出した組織の流れをくむ東京学連剣友連合会の会長として、黎明期の組織を発展させるべく微力ながら貢献できたことを誇りに思っております。

現在では、合同稽古会や大学OB・OG大会を開催し、全国大会まで発展するようになりました。年に一度くらいですが、本学道場においても学生を交えて研修会や稽古会を行って参りました。

剣道有段者数は205万人、その内女性が30%を占めています。令和6年の7月にはイタリア(ミラノ)で第19回世界剣道選手権大会(60ヵ国参加)が開催予定で、国際的にも普及・発展しております。

武道学会の会長もなさいましたよね・・・

百鬼

日本武道学会の会長を4期12年間に亘り努めました。今は顧問ですが・・・
武道ですから剣道以外に8種目が含まれています。学術団体として、そもそも武道とは何か? その概念は何かという根本的課題の探求や武道について国際的に発信するための国際学会の開催などに力を注ぎました。

組織をまとめていくという事は大変ですよね・・・

百鬼

武道(剣道)の発展に微力ながらも尽力しなければならないという使命感と、それに対する責任感を強く持つことが必要と思っております。

Ⅳ : 8段位の取得

段位というものは誰が認定するのですか?

百鬼

全日本剣道連盟です。


剣道8段の証書

今回8段位を取りましたが、7段はいつ頃取られましたか?

百鬼

農工大学に着任してから6年目の昭和60年(1985)ですので、随分と時間がかかりました。

現在の8段審査は年3回あって、2日間で2,000人くらい受けます。実技の1次審査には10%位が受かっておりますが、2次審査では、その中から1%に満たない方が受かります。最後は日本剣道形の3次審査により合格者が決定します。大変厳しいものです。

私は、17回ほど1次審査には受かったのですが、なかなか2次審査には合格できませんでした。その都度、自分の剣道を見直し、何が足らなかったのか反省して稽古を続けました。稽古時間が足りなかったことは明らかですが、退職後は少々時間もとれるようになり稽古量も確保することができました。

実技審査は1・2次審査とも4人一組となり2人と実戦形式で立ち合います。単に相手を打つというだけではなく、心を打つような見事な一本(有効打突)となる心気力が一致した打突をしないと合格しません。
相手との格の違いを見せられるような立合ができていなければならないと思います。

試合の勝ち負けとは違った基準がある訳ですね。

百鬼

剣道の試合では有効打突(一本)を取得して勝てばよいわけですが、8段位の取得の基準はそれだけではありません。

勝負は、相手との相対的な関係できまります。その技を出すにあたって、自分が満足できるような自己表現としての打突ができた上で、相手を見事に打つ事が重要です。
理に適った剣道をしなければなりません。

私はテニスの試合をして満足がいかなくても、勝ててしまう事があります。でもテニスは、勝てばいいというようなところがあります。剣道の場合、勝ち方が重要という事ですね。

百鬼

勝ち方にも、その内容が問題です。

学生を指導する場合、指導者が引き上げるように導いていく必要があります。指導される者は、どんどん技を習得し、新しい自分を作り上げていけるわけです。

年齢を重ねて老いていく時に、負けたりすることはありますよね。

百鬼

人間ですので、そういう事は当然あります。老化による体力の低下によって体が思うように動かないことが生じます。しかし、剣道の場合には、永年の稽古と経験により技量は向上していきます。

また相手の動きを察知したり、技を出させないようにしたり、相手に打ってこさせたりして技を出したりすることができるようになります。

様々な相手と稽古した結果、情報量が増えてくると、自らその情報を処理することでパターン化ができます。パっと竹刀を合わせた瞬間に相手がどのパターンかを判断して、相手への攻め口等を整理しているので、相手に合せた攻防ができるわけです。

記録を出すというスポーツとはそこが違う訳です。お互い対峙する中で、判断をしているわけです。相手がどのように考えるか、どのように動くかを瞬時に判断しているわけです。多くの引き出しの中から戦術を選んで技を繰り出しています。

情報という事の他にも何かあるような気がしますが・・・

百鬼

経験による情報の多さもさることながら、その時の体や心の状態が影響してきます。
明鏡止水というような精神状態を作ることも重要です。中々そのような心境は得られません。そして平常心を保つことが重要ですが、私にはその点がいまだに未熟です。(笑)

相手の気を読む事があるという事ですが、相手が動こうとするときにその前にそのような気を察知するという事ですか?

百鬼

相手が攻めてくるという.気を読むにあたって、いかに多くの情報を得て判断していくかが重要だと思います。攻められてからでは不利になります。「気を挫く」あるいは相手の「気の起こり」をねらったり、相手を引き出して応じ技を使って打ったりします。

今まで自分が持っている情報に無い人や、むやみやたらに打ってくる人もいますので、そういう人にも対応しなければなりません。この場合にはエラーが生じたりすることもありますので、慎重にならなければなりません。なかなか難しいです。

今回の8段審査のお相手は正攻法で立派な剣道をされる先生で、自分と同じように剣道を求めておられる先生であったと思います。正々堂々と立ち合うことが出来たと思います。私の方が「気」が勝り、相手を攻め崩していたのではないかと思います。勝負というものは相対的なものだと思います。

8段位を取って何を感じられましたか?

百鬼

今回の8段位の取得にあたり、大学のホームページでも掲載頂き、研究上で賞を頂いた訳ではなく、他の先生方とは異なる内容でしたが、評価して頂いたことを感謝しています。

剣道の指導を通じた教育活動への評価をしていただいたと考えています。学外的には、剣道の最高段位取得者という事で敬意を持って対応して頂けるようになって参りました。自分としては何も変わっていないのですがね。

今は、8段に相応しい真の実力をつけるよう、さらに精進しなければならないと自覚しております。まだまだ伸びしろがあると思っています。

8段合格記念祝賀会(こうとく会主催)

Ⅳ : 最後に

剣道の指導者として今まで続けていらっしゃるのは、剣道にそれだけ魅力があるという事ですね?

百鬼

そうですね!剣道は単に勝敗を競い合うだけでなく、相手の人格を尊重して礼法を重んじ、有効打突(一本)を求めて稽古や試合を行いながら、新たな自己を創造し合う日本の伝統文化なのです。

また、私のように年をとっても若い人と楽しく剣道ができるのです。「師弟同行」という言葉があります。一緒に汗をかきながら稽古して指導するとともに、自分自身もさらに精進して後ろ姿を学生に見せていくことも大切なことなのです。

自分の経験等を通して、剣道の魅力を若い学生たちに伝えていきたいと思います。私はやる気がある学生に対しては、できる限りのことをしてあげたいと思っています。やる気を起こさせていると言った方が良いかもしれませんね。

百鬼先生の話を聞いていると、人との繋がりが今の先生を作り上げているように思います。

百鬼

色々な方が、私を導いてくれていると思います。可愛がってくれる人は多かったと思います。私の財産です。

浅学菲才な私でしたが、向上心は人一倍ありましたので「何とかしてあげたい」と思ってくれる先生・先輩方が多かったという事でしょうか・・・。大変有難く思っております。

いつも最後に若い人たちに伝えたいことや、今後の方向性を聞いているのですが・・・

百鬼

研究は仮説を立てデータを取得して、論理を実証していきます。

剣道の場合、実戦(稽古)を通して、自ら実証してそれを人に伝えていきます。そして、自分自身を知ったうえで新しい自分を作り上げていく。真面目に取り組んでいくと様々な先生や先輩に出会え、自分を向上させてもらえます。師匠の無い剣道は外道だと言われます。良き師匠を求め出会うことが大切なことです。

私は、8段になったからと言って、偉いとも何とも思っておりません。自分の至らなさは十分に分かっているつもりです。残りの人生は、少しでも向上するよう努力したいと思っております。

若い人は皆さん無限の可能性を持っていますので、求道心を持って自分自身を高めていって欲しいと思います。自分の持っているエネルギー・力というものを主体的に破って、自分で新しい自分を作り上げて行く、さらに大きなエネルギーや力を蓄え発揮して行って欲しいものです。“修行”という言葉の本来の意味と考えます。
このことは、研究者としても相通じるものと思います。

自分の力を信じ、さらに高めながら多くのものに挑戦し立派な社会人として活躍して頂きたいと、心から願っております。

私も後期高齢者ではありますが、まだまだお相手することができますので、健康であるあるかぎりは、今後も学生と向き合いながら、剣道を通して可能な限り、互いに歩んでいきたいと考えています。30年以上勤めさせて頂いた農工大への恩返しだと思っております。

交流ラウンジの取材をしていると、皆さんエネルギーを高めていくと新たな展開が開けてくるとおっしゃいます。

百鬼

そうですね、たかが剣道、然れども剣道。ただやっていても駄目で、自分自身を鍛えていく、主体的に自己研鑽をして新しい自分を作っていくことが必要だと思います。
研究していく道でも、同じように主体的かつ真剣に取り組んでやっていく事が重要だと思います。人とかかわりあって新しい研究に取り組んでいく時、受け皿としての個人が他の人の意見を吸収できないと決していいものができないと思います。
人と人が真剣に対峙すると、新しいものが生まれます。意味のある相互作用をしあって、自分自身を高めあって欲しいと思います。

以前の滝山先生へのインタビューで、エネルギーの交換によって新たなものが生まれると言っていましたが、相通じるものがありますね。

百鬼

そうですね。違う言葉で言えば、お互いに刺激しあうことが必要だと思います。

先生が8段を取らなければ、私は先生とのエネルギーの交換はできなかったと思います。

百鬼

ははは!お互いの考え方を理解する機会はなかったと思いますよね。でも、こう言った話は、一般の方には興味がないかもしれませんね。

そんなことはないと思います。剣道の道というものがどういうものか、皆知りたいと思っていると思います。
サークル活動で剣道を教えるという事が、教育とどのようにつながっているのかを語る上で、ここのところは外せないと思います。

百鬼

道はいろいろありますから、剣道でなくても良いと思います。

普遍的な言い方をすれば、人の生きる道、どう生きたいかどう生きるかという事が重要だと思います。剣道で言えば、剣という媒介があって、あるルールのもとに技を磨いて、人として向上していく事が重要です。

人間形成、人格形成、社会性、礼儀作法・・・剣道という同じ道を求めている人には相通ずるものがあって、職種や大学の枠などを超えて仲良くなります。

剣道着姿の百鬼先生

私の同期にも剣道部の同窓生がいますが、今でも年齢の近い人が仲良く集っているようです。
本日はお忙しいにもかかわらず、貴重なお話ありがとうございました。

百鬼

こちらこそ、このような機会を与えて頂いて、感謝いたしております。有難うございました。

百鬼先生へのインタビューの感想
今まで仕事上、百鬼先生には大変お世話になっていましたが、今回のようなお話をする機会がありませんでした。百鬼先生の新たな側面を知ることができて、とても有意義なインタビューでした。
8段位を取ったという自慢話ではなくて、教育理念を中心にお話しくださいました。「剣道の指導を通じてスケールの大きな人材を育成していく」という教育理念を貫いている姿勢に感銘を受けました。
また、「人とのかかわりあい」を大事にしている先生のお人柄にも触れることができて良かったと思います。
こうほう支援室 池谷記